お人形とお雛様の違い

お人形とお雛様の違い

人形は、読んで字のごとく人がた(人の形をイメージした物)を指します。
特定の人(新生女児)の身代わりとなる人がたと定めた時点でお雛様となると言える。
だから、雛という言葉は、色々な場面で使われていますが、雛人形というものは、特殊で尊いものとして、
様が付けられる。たとえば、つるし雛(お願いを形にしたぬいぐるみ)が脇飾りとして、扱われているのは、(特定の人(新生女児)の身代わりとなる人がた)ではない、そのためです。様々な人形がありますが、それらの人形を指して、お雛様とは言わないのです。

東北自動車道 上り佐野SA三段飾り展示

東北自動車道 上り佐野SA三段飾り展示

平成28年1月25日午後から、佐野サービスエリアのレストランに吉貞人形工房作の三段飾りを展示します。
お立ち寄りのお客様是非ご覧ください。スマート出口を出て、15分ほどで、当店まで、ご来店頂くこともできます。
案内のパンフレットもありますので、宜しくお願いします。

佐野市立植野小学校3年生感想文6

佐野市立植野小学校3年生感想文6

吉貞人形さん、ぼくはこの前総合でおじゃましたものです。この前は、ありがというございました。
ひな人形をなぜかざるのかもよく分かりました。あと、人形の事をよく教えてくれてありがとうございました。
ぼくはにんぎょうのことがもっと

佐野市立植野小学校3年生感想文8

佐野市立植野小学校3年生感想文8

吉貞人形のみなさんお元気ですか。
前に吉貞人形に行ったものです。この前は、ありがとうございました。ひな人形の後ろにある屏風は、12か月のことを言っているなんてはじめて知ったし「一番下のだんの道具が嫁入り道具だよ。」と言われたときなんでかなと思いました。いろいろなことを教えてもらってうれしかったです。

佐野市立植野小学校3年生感想文5

佐野市立植野小学校3年生感想文5

わたしは、校外学習で、よしてい人形に行きました。ひな人形やはごいた、兜など作っていました。
まずひな人形のことをはなしてくれました。とちゅう、ほかのところで作っているのとよしていで作っているひな人形のきもものやわらかさがちがいました。ほかの所は、かたくよしてい人形のの所は、やわらかかったです。その理由は、ひな人形は、赤ちゃんからいわうもので、赤ちゃんのやわらかい手でさわれるように、やわらかくしたそうです。そしてひな人形を作っている場所を見せてもらいました。げんりょうは、わら、シリコンがた、木のこな、ぬの、いもんぐし、ほかにも作っていました。さいごにカレンダーを

佐野市立植野小学校3年生感想文3

佐野市立植野小学校3年生感想文3

ぼくがびっくりしたことが4つあります。
1つは、人形がわらときりのこなからできていることです。
2つ目は、1番小さい人形は、15cmぐらいということです。
3つ目は、人形によって首、や手のおおきさがぜんぜんちがうことです。
4つ目は、シリコンで人形の頭を作ることです。ぼくは、小さいころから人形が好きだったので、行けてよかったです。
いろいろせつ明をしてくださってありがとうございました。

 

 

佐野市立植野小学校3年生感想文3

佐野市立植野小学校3年生感想文2

佐野市立植野小学校3年生感想文1

佐野市立植野小学校3年生感想文2

佐野市立植野小学校3年生感想文2

ぼくがびっくりしたことは、三つあります。一つ目は、どう体でパ-ツが210ぐらいあることです。どう体でパーツが210もあったら、
人形の全部のパーツで450くらいあると思うので人形を作るのがたいへんだなと思ったからです。
2つ目は、吉貞人形で作っている人形とちがうところで作っているのとやわらかさがちがっていることです。
さわってみたら他のところで作っている人形と3,4倍くらいちがっていたからです。

佐野市立植野小学校3年生感想文1

佐野市立植野小学校3年生感想文1

先日は、おひな人形について教えて下さってありがとうございました。
あんなにほんかくてきなひな人形をすべて手作りしていることが分かりました。
ぼくは、すごいなあと思いました。これからもお体に気をつけて雛人形作りをしてください。

雛人形七段飾り、十五人飾りパート9仕丁について-1

雛人形七段飾り、十五人飾りパート9仕丁について-1

雛人形の世界では、その発展の中で,座雛の大きさに背丈を八寸とする発令がしかれるとその華やかさを満たすべく飾り雛の数を増やすことで充していった。
古今雛がうまれ、子供頭(かしら)に素袍(江戸期の武家の礼装)という姿の五人囃子の出現を見ると 往時 節供飾りの王道だった対雛と五人囃子の組み合わせを中心に 陽の数七段のお雛段 平穏無事を願う数の姿を示す15人揃が誕生し 三月上巳の節供の雛飾りにおひなまつりの完成された様式とされてその中心に位していった。
十五人揃七段の前に座ると 一番手前に三人そろった仕丁が並びよくみると三人三様、泣き 笑い 怒りの表情で、上の12人のすまし顔と
異なり、ユーモアということで済まそうとする人がいるしかしそうだろうか?お雛段の説明をしてきましたが、みんなお願いごと込めて飾られているのが御雛飾りだと思う。

予祝について

予祝について

予祝について、予祝
2012年1月 9日 /里山民家だより

「よしゅく」と読みます。
どんな意味かと言えば、「あらかじめ祝う」という意味です。
これだけではまったく分からないと思います。

この「予祝」に「行事」をつけると「予祝行事」となります。
こっちの意味は、「主として小正月に、年間の農作業のしぐさを真似たり、木の枝に餅などをつけて実りを表したり、害獣を追うしぐさをしたりして、その一年間の豊穣(ほうじよう)を祝い願う行事。庭田植え・繭玉(まゆだま)・鳥追いなど。」とあります。

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つまり、「良いことが起こることを願って、先にお祝いをしてしまうこと」を予祝行事といいます。
先に祝ってしまう。良く考えてみるとすごい行事ですね。
前置きが長くなりました。今日は、里山民家で、予祝行事である「繭玉飾り」が行われました。
「繭玉飾り」は、餅を丸めて木の枝にさし、作物の豊作を祈念する飾り物です。かって養蚕が盛んだった関東では、蚕の豊作を願って飾られました。もちろん、里山民家のある狭山丘陵一帯では、養蚕や絹織物が主産業であったため、とても大切な行事でした。

今では、養蚕も織物もすたれ、繭玉飾りの習慣も薄れてきましたが、里山民家では、ボランティアが繭玉飾りを継承しています。里山民家の裏田んぼで収穫した米で繭団子を作り、裏山で切り出してきた木の枝にさしてこしらえた繭玉飾り。形だけではなく、心意気も今に繋げています。
予祝芸能(よしゅくげいのう)とは、伝統芸能を信仰の面からとらえたときの、萬歳や春駒など新春をことほぐ芸能や、農作業のあらましをあらかじめ一通り演じて順調に稲が実るように祈願する田遊び・御田などを指す。あらかじめ祝福することで、そのことの実現を祈るもので、その背景には言霊の信仰・思考法がある。獅子舞や風流踊りにおける「屋敷ぼめ」の歌などにも、同様の性格がみてとれる。予祝芸能に対し、災害を取り除く意味合いの強いものを除災芸能と呼ぶことがある。
予祝行事という,豊作を祈る行事
an event where a good harvest is prayed for, called a celebration in advance
さらに、田の神そのものではないが、それと深くかかわるものとしては、東日本に広く伝承されている小正月の鳥追い行事、かまくらなど水神の祭礼、どんど焼きをはじめとする左義長の行事、また、ナマハゲ・サイノカミ・トシドン・アマハゲなど日本各地に広がるトシノカミの訪問も予祝の性格をもつ民俗行事である。
In addition, the following events are also folk events having a characteristic of the preliminary celebration, although they do not directly involve Tanokami itself but have close relations with it: bird-driving events widely handed down in East Japan, festivals of God of Water and Rain such as a mid-January festival in northern Japan, snow huts in which children play house, a festival of Sagicho (ritual bonfire of New Year’s decorations) including the Dondo-yaki (a bonfire of the New Year’s decorations, such as pine branches, bamboos, and straw festoons, at a shrine around the 15th of January), visits of Toshinokami widely seen in regions across Japan such as namahage (folklore demons of the Oga Peninsula that pay frightening visits to children at the New Year), Sai-no-kami, Toshidon and Amahage.
予祝芸能(よしゅくげいのう)とは、伝統芸能を信仰の面からとらえたときの、萬歳や春駒など新春をことほぐ芸能や、農作業のあらましをあらかじめ一通り演じて順調に稲が実るように祈願する田遊び・御田などを指す。
In seeing the traditional perfuming arts from a religious point of view, Yoshuku Geino refers to various performing arts for celebrating the New Year such as Manzai (a traditional celebratory chant-like song) or Harukoma (a dance in which a performer carries a wooden horse’s head), and Ta asobi or Onda, a performance mimicking the processes of rice production to pray for a good harvest before farm work starts
秋田県横手市吉田の「雪中田植え」や青森県八戸市の「えんぶり」をはじめとする庭田植の行事も、予祝の性格をもつ民俗行事である。
Other folk events having a characteristic of the preliminary celebration include events of Niwataue (literally, rice planting in the garden) such as ‘Secchutaue (literally, race planting in snow)’ in Yoshida, Yokote City, Akita Prefecture and ‘Enburi (a rice planting dance named after a tool for rice field preparation)’ in Hachinohe City, Aomori Prefecture.

雛人形七段十五人飾りパート8随臣について

雛人形七段十五人飾りパート8随臣について

佐藤ハチローさんの歌にもある赤いお顔の右大臣ですが、装束や雛段の中の着座位置などを考え合わせると
神社等に鎮座する随身門の矢大臣左大臣であるというのが正しいようです。赤ちゃんの分身であるお雛さまを
お守りするために、配されたお人形であるようです。
ずいじんもん【随身門】
随身1の姿の守護神像を左右に安置した神社の門。この二神は閽神(かどもりのかみ)あるいは看督長(かどおさ)といわれ、俗に矢大臣・左大臣と称される。

http://www.tripadvisor.com/LocationPhotoDirectLink-g1023407-d1386311-i29439291-Shiogama_Shrine-Shiogama_Miyagi_Prefecture_Tohoku.html

雛人形七段飾り、十五人飾りパート7五人囃子について

雛人形七段飾り、十五人飾りパート7五人囃子について

五人囃子については、子供の顔、特に古典髷の場合、向かって左から二番目のわんか頭を髪置きと言い辞書で引くと七五三と出ている。
五人林の背負った願い事は、まさに子供が無事通過儀礼をこなし成長していってくれるようにということで、成長を囃したてる人形であります。
このため、かつて15人飾りが完成する前の江戸時代は、内裏雛と五人林で飾るのが流行っていたという記録もあります。
五人林は、能楽の囃子方と唄い方で構成されているのですが、面白いのは、この中の太鼓向かって一番左なのですが、この太鼓のお囃子が付く場合神様に関する演目なのだそうです。おひな祭りには、お家の中に神様に来て頂き赤ちゃんのためにご家族がお願いをするおまつりだとい言う考え方の象徴だといえます。goninnbayasikotenn

雛人形七段十五人飾りパート5三宝について

雛人形七段十五人飾りパート5三宝について

最上段お内裏様の前に三宝そこには、とっくりと口花が飾られておりますが、本来この徳利の中は、
天地創造の神話に出てくる、「伊邪那岐と伊邪那美」の神様にお供えする御神酒で陰の酒陽の酒がそれぞれに入っており、幸せなお雛さま(赤ちゃん)の結婚を願っての予祝の一つと考えられます。

雛人形七段十五人飾りパート6飾り方お雛さまは、左か右か

雛人形七段十五人飾りパート6飾り方お雛さまは、左か右か

現在多くの地域で、お雛さまを向かって右、お内裏さまを向かって左に 飾るよう説明書も用意されている。しかし屏風の話の時にも説明しましたが、昔の考え方では、向かって右が陽、向かって左が陰という考えかたで世の中が治められていました。ですから陽の方に男性の姿をしたお内裏様、陰の方に女性の姿をしたお雛さまを配置していました。

1. 雛人形を知ることは、親と子の「心」を育てること

1. 雛人形を知ることは、親と子の「心」を育てること

ひな壇は女の子の将来の結婚式

桃の節句。
ひな壇の最上段には雪洞が灯り、宵闇の暗がりにほんのりと浮かぶ、男女一対の内裏雛。
二段目に三人官女が控える姿。
日本人から愛されてきた、ひな祭りとしての「ひな壇」は、実は婚礼の絵巻でもあるのです。
初節句を迎える女の子のために、「おだいり様」「おひな様」と呼ばれて飾られる、男女一対の内裏雛。
その美しい姿には、女の子がやがて健やかに成人して、おだいり様のような素敵な男性に出会い、文字どおり三国一の花婿に恵まれるよう、そして豊かな結婚生活がかなうようにとの願いが込められています。女の子の身代わりとして、ひな壇に座るおひな様。そのお雛様にとって、隣にいるおだいり様は「赤い糸で結ばれている将来の夫となる男性」の理想像を映しているともいえるのです。

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夜に行われていた昔の結婚式

ひな祭りの歌にある、雪洞(ぼんぼり)に灯りをつけるという節。
昔の結婚式は夜に行われていたので、おひな様も古式にならって夜の婚礼を表しています。
そのため親王(お内裏様とおひな様)の脇には雪洞(ぼんぼり)があるのです。
婚礼の儀が夜に行われていたのには理由があります。
ここで、婚礼の歴史について、江戸期に書かれた『貞丈雑記』にある面白い記述を見てみましょう。
「婚礼は夜する物也。されば古法婚礼の時、門外にてかゞり火をたく事、上臈(じょうろう)脂燭(しそく)をとぼして迎に出る事旧記にある也。男は陽也、女は陰也。昼は陽也、夜は陰也。女を迎うる祝儀なる故、夜を用ル也。唐にても婚礼は夜也。されば婚の字は女へんに昏の字を書也。昏はくらしとよみて日ぐれの事也。今大名などの婚礼専ら午の中刻などを用る事、古法にそむきたる事也」
ここでは結婚式を夜に行う理由として、「男は陽で、女は陰の性質を持つ。昼は陽で、夜は陰である。」という陰陽の考え方をあげています。
結婚式は「陰の女性」を「陽の男性」のもとに迎える祝儀なので、女性を迎え入れやすい夜に行われていたのです。
私たちの祖先たちが、婚礼にどう臨んでいたのかがわかります。
ここで大切なことは、自然界の時の流れに対する昔の人たちの考え方です。
日本人は古来、昼と夜や男と女のように、自然界にあるすべてのものを陰と陽の二元に分けることに思い入れをもって暮らしてきたのです。

中国から伝わった陰陽の考え方

すべてのものを陽(プラス)と陰(マイナス)に分ける陰陽五行の思想は、中国から伝わりました。
陰陽五行というと占いのように感じるかもしれませんが、これは自然界の見えない力を科学的にとらえた画期的なものです。
日本は季節がちょうど4つに分かれる気候に恵まれているので、季節がプラス(春夏)からマイナス(秋冬)、そしてまたマイナス(秋冬)からプラス(春夏)に循環するというイメージは受け入れやすく、陰陽五行はよく浸透しました。
陰陽思想で季節をわかりやすく分けると、一番何に役立つのでしょうか。そう、農業です。
米作りなどの農作業は、季節の変化と大きく関わります。そのため、目見えない時間や季節、方角など自然界のエネルギーの流れを読み取ることは、昔から日本人にとっては大切なものでした。
暮らしに根付いた自然の捉え方はやがて、人間の成長にも用いられるようになりました。その一つが、今も伝わる雛人形です。子どもがより豊かに、病や災いがなく成長し、良い花婿と結婚して子を成してほしいという願いが、雛人形の中に取り入れられたのです。
今、雛人形の飾り方は知っていても、様々に込められた意味を知っているお母さんは多くないと思います。ですので、お時間がある時にぜひ、ここでお話ししていることを読んでみてください。
そして毎年、お子さんの成長に合わせて雛人形を一緒に飾りながら、こんな意味があるんだよ、と教えてあげてください。すぐに理解するのは大人でも難しいと思いますが、大切に飾りながら意味を知っていくことで、女の子の心が成長していくことと思います。

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雛人形は心を育てる文化

雛というのは日本固有のものですので、世界に冠たる人形文化として、誇りを持ち続けながら仕事をしていきたいものだと常々思っています。
随分前のことですが、かつてアメリカの民族学者F・スタール博士は日本の雛のことに触れて、
「日本人は誰もが雛と人形の違いを知っている」と指摘しました。雛はいわゆるただの人形ではなく、祖先たちが注いだ心を知るためのものでもあるのです。
学校での勉強が大切にされる現代では、家での教育は薄れつつあるように感じています。
家でのしつけというものは、学校で教えられないものです。
繊細な雛人形を通して、ものを大切に扱い、良いものを見て目を養い、丁寧にしまうことを覚える。
お祝いで人が集まったら座布団やお茶菓子でおもてなしをする。
七五三をはじめ成長を祝う通過儀礼を通して、子が自分が大人になっていくのを自覚していく。
雛や節句には、このような先祖から伝わる「命の成長への心遣い」が様々に込められているのです。
全てを昔のやり方に合わせるというのは難しいかもしれませんが、「心を育てる」という意味においては、今も昔も雛人形を通して変わらず育むことのできるものです。
赤ちゃんが生まれて初節句を迎える際に、節句人形を値札だけで選ぶのではなく、
「この子が生きていく上で一番大切にしてほしいことは何か?」という思いで選んでいただければと思います。

雛人形 なぜ15人か?

雛人形 なぜ15人か?

なぜ15人か?

- 込められた心を考える -

 ひなだんという呼称は、雛段飾りからひとり旅をして、国会議事堂のひな壇や、さまざまな会議場お祭広場のひな壇であったり、構築物や事象の形容にも用いられて活躍。地についた日本語としてひとり歩きをしている。そのことを考えると、雛づくりにたづさわる者として肩身の広い思いがする。

そして、その仕事に自信を持ちたいものだと思う。

雛は日本国有のもので、世界に冠たる人形の文化として誇りを持ち続けながら仕事をしていきたいものだと思うのだ。かつて、米国の民族学者F・スタール博士はそのことに触れ、ついで日本人は誰もが雛と人形のちがいを知っている、と指摘されていたのは随分と昔になる。

心の時代が唱えられて久しいが、天竜寺の平田晴耕老師は、心を考える時代だとおっしゃる。今こそ長く受け継がれた雛をわが国固有の文化として捉え、祖先たちの注いだ心を知り、雛に込められる心を考える時代が到来しているといえるだろう。

ひなまつり、雛の節供の由来については、いろいろな解説がなされ、その発展の経緯に関し幾多の考証があって、ひとつ、雛学と呼んでもよいのかも知れないほどだ。しかし、ひなまつりの祭神にあたる雛段飾りが、かたちを整えて今日の発展を見た現在でも、そのかたちの主役というべき十五人揃の構成は、単につよい民俗信仰に支えられ、普及してきたと思われるだけで、そのはじまり、その人数の定着にふれた文献資料、その解明などは見当らない 人形史の流れのうちでいわば、盲点といってもよいだろうか。その数の根拠を訊かれて雛飾りに注がれた心を知って、その答えは用意されたい。

十五人揃雛段飾りには、すぐれた様式美があり、その構成にはひなまつりの完成された文化の香りさえある。正統派の雛飾りとして、雛人形にたづさわる者はあらためて認識を深め、自覚しなければ、ゆめゆめ業界の発展はゆるされまい。

すぐれものだけが時代を超えて残るのは真実だ。憶測が許されれば、十五人揃発祥に思いを寄せたい。

どうして女の子の節句は厳重なのか -雛人形に込められた願い1-

どうして女の子の節句は厳重なのか -雛人形に込められた願い1-

七段飾りのひな壇を飾ったことはあるでしょうか。十五人の雛人形と、たくさんの道具や飾りものを見本なしに正しく並べるのは難しいかもしれません。

どうして女の子の節句は、ここまで豪華で複雑なのでしょう。

その答えの一つは、女の子が「命をつなぐ存在」だからと私は考えています。

 

赤ちゃん

 

ひな人形には、両親、祖父母の様々な願いが託されます。

健康に育って欲しい、幸せになってほしい、良い人と縁をもって結婚してほしい。

毎年くり返し祝うことで、赤ちゃんは人間として成長し、魂は整った状態になっていきます。

 

節句というのは、絶えず「命に関する願いをする」ことが中心にそえられているものですが、

中でも桃の節句は「新しい命を生む力がある」女の子のお祝いですから、より強く健康・成長・結婚への願いがこめられているのです。

情緒を育てる大人への通過儀礼-雛人形に込められた願い2-

情緒を育てる大人への通過儀礼-雛人形に込められた願い2-

お腹の中にいるとき、親子の体と魂はつながっているといいます。子どもは胎内で、祖先の穢れ、遠い原始の祖先たちの畏れと出遭い、そんな知らず知らずに受け継いできている穢れを祓い清めるという願いも、初節句には込められているのでしょう。

 

このように、節句というのは魂の健やかな成長も促します。健康や見た目のことだけではないのです。ですからひな祭りでも、女の子の「魂」や「情緒」と呼ばれるものの発育が促されるのです。

 

古来日本では、懐胎(妊娠)をはじまりに、いろいろな成長の通過儀礼が行われてきました。とくに人の誕生から一年目は魂の成長にとって大切な時期なので、儀礼も厳格に行われます。

七つ前は”神の子”といわれるのは、まだ魂が未熟で変化しやすいというのを意味するのかもしれません。

 

懐妊

 

今はお母さんのお腹から出てきたら「誕生した」と言いますが、以前の日本では胎内にいる時点で命を授かった、つまり生まれたと考えました。そのため赤ちゃんの受胎があると、5ヶ月目の戌の日を選んでお腹に腹帯を巻いてお祝いしました。「帯祝い」と呼ばれるものです。

成長の通過儀礼は誕生(胎内)からはじまり、幼児期を経て、男女に分かれて成人するまで行われます。

 

昔は男子は5歳から9歳までの間に、女子は7歳の11月の吉日に、幼児期が終わる帯解きの祝いをしました。そこからは幼児としての扱いは終わります。難しい知識を正しく吸収でき、反応できる「社会人」としての仲間入り(氏子入り)の人格が、もうできあがったと見なされるのです。

 

儀礼のたびに、子どもは自分が少しずつ大人になっていくことを自覚し、やがて成人の式が済むまでには、肉体も生霊も完成されて一人の大人となります。

今のような”キレる子”というのは考えられず、10歳前後でも情緒も安定した人間として扱われました。

 

お雛さまの人形の中にも、心の成長段階が表現されています。成長を促す童子の顔・格好をした五人囃子や、若手(泣)・中堅(怒)・老人(笑)の3人が並ぶ仕丁。

これらの人形の意味は、大人になってやっと実感できるもの多いかもしれません。ですが、ものを大切にして毎年きちんと並べながら、お雛様に込められた願いを少しずつ教えてあげてください。そういった一つ一つが、お子様の情緒を育ててくれることと思います。