朝晩すっかり涼しくなり大分すごしやすくなってきました。
人形の吉貞様は、いかがおすごしでしょうか。
見学をして、勉強になったことが、たくさんありました。
まず、おひなさまにさわると、厄などをはらってくれることです。初めてこのことを知りました。
また実際に人形の布を切るのが、とても楽しかったです。
お手本を見せていただいたとき、簡単そうにやっていたのでできるかと思ったけれど、じっさいにやったらできなくて、やっぱりプロはすごいと思いました。
そして、お嫁に行けるように早くおひなさまをしまいたいと思います。
ありがとうございました。
これから、お体に留意されもがんばって下さい。
投稿者: yoshiteiadmin
栃木県立佐野高等学校付属中学当社見学感想文6
栃木県立佐野高等学校付属中学当社見学感想文6
朝晩すっかり涼しくなり、大分すごしやすくなりました。
人形の吉貞の皆様は、いかがおすごしでしょうか。先日の職場見学で私は3つのことを学びました。
1つ目は、ひな人形を飾る意味です。自分の身代わりだということは、初めて聞きました。
2つ目は、人形には、1つ1つ意味がこめられていることです。そのことを知り大切にしなければいけないと思いました。
3つ目は、その人形を作るのにっても時間がかかるということです。布を切る体験をさせて頂きましたが、とても難しく、人形の完成まで苦労なさっているのだな思いました。
とてもわかりやすく説明してくださり、とても勉強になりました。
有難うございました。これからもお体に留意され、お仕事がんばって下さい。
佐野人形感謝祭
佐野人形感謝祭
栃木県立佐野高等学校付属中学当社見学感想文5
栃木県立佐野高等学校付属中学当社見学感想文5
朝夕、ようやくすごしやすくなってきました。
人形の吉貞の皆様はいかがおすごしでしょうか。
お雛様や五月人形についてとても詳しく教えていただき、ありがとうございました。
お雛様は、小さい頃からかざっていましたが、お雛様をかざる意味はよく知りませんでした。
お雛様は、子どもの身代わりになり、幸せになるという願いがこめられていると聞いてとても感動しました。
この意味を子供達に伝えていきたいと思いました。
ま太、私の質問にも丁寧に答えあて頂いてありがとうございました。
昔から母に言われて気になっていたのでその意味がわかり、とてもよかったです。
一つ一つ時間をかけて作っている人形をこれからも大切にしたいと思います。
これからもお体に留意されお仕事がんばって下さい。
栃木県立佐野高等学校付属中学当社見学感想文4
栃木県立佐野高等学校付属中学当社見学感想文4
日が沈む時間がだんだん早くなり、夏の終わりを感じています。
人形の吉貞の皆様は、いかがお過ごしでしょうか。
ひな人形は、私はよごしては、いけない、さわってはいけなないと思っていたので、ひな人形にさわって一年分の悪いものや厄災を封じこめという意味があったことに驚きました。
ひな人形などの人形一体作るのに、250工程も行うなんて、人形を作るのはとても大変だなと思いました。一つの人形で大変な苦労と時間をかけて、人形をつくっているんだなあと思いました。
人形を作るとき、やわらかく作ることが大変だということがわかりました。
さわってもらいたいと思う気持ちがとても伝わりました。
これからもお体に留意されお仕事をがんばってください。
栃木県立佐野高等学校付属中学当社見学感想文3
栃木県立佐野高等学校付属中学当社見学感想文3
朝晩すっかり涼しくなり、大分過ごしやすくなってきました。
人形の吉貞の皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
先日は、人形やひなまつりのことについていろいろ教えて下さり、ありがとうございました。
今までこのような話を聞いたことがなかったので、初めて知ったことばかりで、とても勉強になりました。
学んだことを、これからの生活に生かしていき、伝統を受けついでいきたいです。
これからもお体に留意され、お仕事がんばってください。
栃木県立佐野高等学校付属中学当社見学感想文2
栃木県立佐野高等学校付属中学当社見学感想文2
皆様、お元気でいらっしゃいますか。
先日は、おいそがしい中、見学させていただいて、ありがとうございます。
今まで知らずに飾ってきたひな人形は、自分の分身で、いろいろ厄際や不幸を引き受けてくれる、という意味があることを知りました。
また、女の子の幸せな一生や結婚、子孫繁栄、経済力、地位等々を願って飾るという事も初めて知りました。
見学の最後の方に、布を専用の道具で切らせていただきましたが、なかなかうまく切れず、とても難しかったです。
これからも、ますますお元気でご活躍ください。
栃木県立佐野高等学校付属中学当社見学感想文1
栃木県立佐野高等学校付属中学当社見学感想文1
去る9月15日見学にこられた中学生の皆さんの感想文が届きました。
文字がきれい、私の拙い話をよく理解してくれていることがうれしく、紹介するものを選べませんので、せっかくですので、日数をかけて一つ一つご紹介します。
暑さ寒さも彼岸までと申します。人形の吉貞の皆様には、いかがお過ごしでしょうか。
今回の見学では、人形に込められた昔の人々の願い、人形作りの繊細さと努力が感じられました。
また、実際に布を切らせていただいた時は、上手く切れなくて、一体の人形を作るとしたら、どれだけ難しいかわかりました。
これらを通して、私も自分のひな人形を大切にして、伝統としてしっかり受け継いでいきたいです。
これからもお体に留意されお仕事がんばってください。
人形供養について
人形供養について
当社加盟の佐野人形協会では、人形感謝祭の日として、人形供養を行っています。
1.場所 当日受付 唐澤山レストハウス前テントにて、
事前受付 当日,予定が付かない人も多いため、佐野人形協会各加盟店に
於いて、年間を通して供養したいお人形をお預かりしております。
手続き方法 店頭にて護魔木にお名前等書いて頂きます。
この時人形をお預かりいたします。この護魔木の焚き上げにて、人
形の魂抜きしをその後処分いたします。
2.時 当日受付 毎年10月第二日曜日 AM 9:00~11:00
事前受付 各社の営業時間となります。(当店の営業時間は、ページ内カレンダー
をご覧ください。)
費用 供養料 組合規定にて、¥5000._お預かりいたします。
供養について、
昔から日本人にとって人形は単なる飾り物や遊び道具ではなく、常に魂のあるものとして扱われてまいりました。お子さまが成長され独立して、飾らなくなったり、壊れたりするなど、役目を終えた人形は、感謝の気持ちを込めて丁寧に供養してあげたいものです。
注、、お雛さまや市松人形、羽子板、破魔弓、兜などのご供養を致しますが、こけしやぬいぐるみや民芸品については、受け付けて居りません。
また、ケースや、台、お道具などは、ご自身での処分をお願い致します。
下の写真は、感謝祭の風景の一こまです。
9月25.26.27の3日間R66百貨店に参加しました
9月25.26.27の3日間R66百貨店に参加しました
栃木県立佐野高等学校付属中学の教養講座にて当店見学
栃木県立佐野高等学校付属中学の教養講座にて当店見学
9月15日中学生一年生の皆さん20名ほど、ご来店頂きました。
お人形について、お話をしたり、質問を受けたり、工房の方では、
布地を切る体験をして頂きました。簡単そうに見える作業もなかなかコツがつかめず悪戦苦闘
でも楽しそうにチャレンジされる皆さんを見てこちらも楽しい時間を過ごせました。
昨年素晴らしい感想文に感動したのを思い出します。
後日生徒の皆さんの感想などご紹介したいと思います。
下の写真は、その時の風景の一こまです。
。
雛人形 なぜ15人飾りか vol4
雛人形 なぜ15人飾りか vol4
五が十五を生む
森羅万象、あらゆるものは生まれると成長を重ね発達をし、やがて旺んに活動し、最後は消滅し死に至る。これは動かすことのできぬ哲理で、生・旺・墓の語であらわされる。仏教の世界でいう三界の法も、親があり自分があり未来は子であるということも、三才とよばれる。過去・現在・未来という永遠の流れも生・旺・墓の繰り返しといえる。台風が発生し、次第に発達しながら大暴れをするが、やがてどこかで温帯低気圧に変化し消滅する。毎日の生活には夜明けが、そして日の出があり、日中があり、夕暮れ、日没があって、朝昼晩、つまり生・旺・墓となる。
九星にみる九気の変化活動の流れの中で、本位図にあたるのが魔方陣であり、洛書と呼ばれるが、それは各星(気)のもつ本来の方位であり、各方位にはそれぞれ象意があることは前にも述べた。五黄はその中で中央太極に位置して、生・旺・墓をそして変化活動の栄枯盛衰をつかさどる帝王の星とされる。前号の九星の巡行循環の中で、本位図の位置を五黄土星が出て各方位に回座すると、この星の廻った方位が世にいう五黄殺の方位でその方位と中央を経て対する方位が暗剣殺の方位となる。本来土気のもつ生物を育む性質と共にあらゆる生命体を腐敗させてしまう力、つまり生殺与奪の力を恐れて大兇方位とされ、人々に忌避されている。このことは方ふさがり、方たがえなどの辞で源氏物語や他の古典に見られる。飛鳥時代に大陸文化が渡来して以来、千年以上にわたって我国の為政の中心はもちろん、兵術にも駆使されてきたのは、歴史の示すところである。本位図つまり魔方陣は、四方八方に大兇方位のない安定の時であり、魔方陣に生まれる十五の数の神秘をひな祭の呪術として用いたのであろう。
十五人の考えが誕生した本位図の中で、四は巽そんの卦とされる。これには、整うの意味がある。生命の誕生は大極が生じたとみなされる。今年は八白が中央に回座する年だから、八白土星を大極とする人は、本位図を二廻り目の中央に入る前の年本位図四に八白が位置して整うのである。つまり生まれて十八年目に肉体も精神も旺んになり、大人の仲間入りをする。″十八才未満″にはこうした意味もあろうか。
何れにせよ男女とも九星図の中央の時、この世に生を受け、二回目の中央に来る時成人し活動期に入り、生・旺の旺の部が始まる。特に女性には生命を生み出す力がある。子孫を絶やさぬという自然界の摂理を大切にする心がはたらいて女児の節供は良縁を得る。やがては母体になるための無事成長の願いが特に強いといえる気がする。陰暦で四月は巳の月である。巳の月をはさんで辰の月に上巳の節供があり、午の月に端午の節供があるが、巳は自然界では蛇であり、蛇が長い冬眠からさめ、脱皮をして成長する神秘に信仰が生まれ、五節供の儀礼と習合し、我国固有の節供文化に発展してきたと思える。毎年の節供には蛇の脱皮の擬(もど)きの意味があり、禊は水注ぎで身殺ぎ(脱皮)の意味があると思える。
十干十二支九星などが盛んに用いられた時代を経てひなまつりは発展してきた。これをふまえず節供の意義をただすことはできまい。
「にんぎょう日本」1992年5月号掲載
雛人形 なぜ15人飾りか vol3
雛人形 なぜ15人飾りか vol3
魔方陣は古代中国の天文観察の中で生まれたといえるが、自然界に陰と陽の二元の気が充満して森羅万象をくり返し、止まないという考え方がその根幹をなしている。南北の線によって空間を三分し、東西の線によってさらに空間を二分して四分し、その四分された空間をさらに三分し、その四正四隅を入方位とし、中央を加えて九方とする。中央には大極天源の考え方があり、陰と陽の二元が相対して存在する考え方があって八方角に自然界の現象をあてはめて八卦が生まれた。相撲の行司が「はっけよい」と、声をかけるのはそのことからきているそうだ。状態は十分だ、頑張れと力士に休みない格闘を促す掛け声と考えるが、力士が力強く方円の上俵を踏みならすことで、神々に自然の季節の循環が順当にと祈願を促す呪いとしての意味もあるのかもしれない。
八方位に自然界の見たままの現象をあてはめて考えた図に河図(かと)と呼ばれるものが洛書の以前に考えられており、これを先天方位という。また、九方に一瞬の間断ない自然界の変化活動のきまりとして現象をあてはめたのが洛書、つまり魔方陣でありこれが後天方位とされる。後天方位は人がこの世に生を受けてから死ぬまで自然が作用するものとされ、先天方位は人が母胎内にて受ける作用とされている。
魔方陣は九つの数字を九星と呼んで人の星として考えられ、天象の活動作用を表すのはもちろんだが、人に作用し続ける変化活動の図とされている。九星の巡行は一界の循環が九年であり、九ヶ月であり九日間であり、さらに時刻もそうである。九星にはそれぞれ一白水星、二黒土星、三碧木星、四緑木星、五黄土星、六白金星、七赤金星、八白土星、九紫火星という名称がある。魔方陣に図示された位置が本位であり、その図盤上の各方位の方象のもつ意味が九星のおのおのの象意となり、図示された各方位を循環する。つまり、一白は北、二黒は南西、三碧は東、四緑は南東の象意をもってのようにである。
中央は五黄であり、太極とされ、各星が中央に回座した年が人の誕生の年にあたる。平成四年は八白が中央に巡るので、節分以降に生まれた赤ちゃんは、八白土星を本命星にもつ人として一生を過ごすことになる。ここで注意を要するのは、五黄土星が中央太極を出て八方位に回座する八年そして八ヶ月の間、強い兇方作用が生ずる。つまり五黄が中央に回座するとき人々の周囲に大兇方作用が及ばぬことになる。その図が本位図であり魔方陣となる。人々は魔方陣に生じる十五という数字に安泰を求め、自然界の作用の魔詞不思議をひな段の信仰の呪術にかえたと思えるのである。
「にんぎょう日本」1992年4月号掲載
雛人形 なぜ15人飾りか vol2
雛人形 なぜ15人飾りか vol2
科学万能の現代生活にあっても、多くの人々が年末年始の時期には、日記と共に運命暦を買い求める。運命暦は、あるいは毎年の定着したベストセラーといえるのかもしれない。そしてそれは、人々の誰もが心のどこかで明日への不安と闘いながら毎日の生活を続けている証といえるだろう。気やすめといいながらも、何かを心のより処にしたいのが人情というもので、そこには昔も今もない。深い深い心の底では、自然界の大きな営みの力を知らず知らずのうちに怖れているのかも知れない。
魔方陣は、その大自然の目に見えぬ営み、運行作用を数字におきかえて具体的にし、その原理を示すもので、その数理の法則は四千年以上の時を経て科学万能の時代の今日に至っても万古不易、宇宙の鉄則とされている。
魔方陣を構成する一から九までの数字はそれぞれの性質をもつ生命エネルギーと解釈できるが、一つ一つが独立して存在するのではなく、便宜的に九つの種類に分けただけのことで、一体となって、限りなく、循環作用し、自然界を支配することになる。私達のすぐ身の周りが電波や磁界作用、肉眼で見えぬ限りない色々な素粒子のとびかう空間であることを感じつつ、魔方陣の数字の各々の循環の順序と原子核を中心に廻転する電子の軌跡とが同じ様子だと聞かされると驚く。そして目には見えぬその作用を何となく理解することができるだろう。
洛書は魔方陣が揚子江の治水の際に現れた神亀の甲羅にこの図が発見されたという起源に因んでつけられた名称といわれている。広大な国土を治めるために天文治水に心を砕いていた古代中国の話だ。
魔方陣の縦、横、斜の各数の和が十五になるという摩訶不思議が雛飾りの様式にとり入れられたのは、江戸時代の後期と考えられる。江戸中期の奢多禁令を経て、座雛の形が小型を余儀なくされると、その見栄のために雛の数がふえ、調度も多種多彩となり、その飾り付けは拡がりを見せ、雛壇の定着、雛段数の増加があった事は容易に考えられる。明治の改暦以前の社会では、紀年月日は勿論、方角や時刻等々に干支があてられ、生活の隅々にまで及んでいた。また、徳川三代に仕え、その影響頗るだった天海僧上の天源術を始め、江戸幕府の為政にまつわる中国哲学思想の波及は、一般階層の魔方陣の魔訂不思議への理解が容易な土壌だったといえるだろう。
「にんぎょう日本」1992年3月号掲載
雛人形 なぜ15人飾りか vol1
雛人形 なぜ15人飾りか vol1
- 込められた心を考える -
ひなだんという呼称は、雛段飾りからひとり旅をして、国会議事堂のひな壇や、さまざまな会議場お祭広場のひな壇であったり、構築物や事象の形容にも用いられて活躍。地についた日本語としてひとり歩きをしている。そのことを考えると、雛づくりにたづさわる者として肩身の広い思いがする。
そして、その仕事に自信を持ちたいものだと思う。
雛は日本国有のもので、世界に冠たる人形の文化として誇りを持ち続けながら仕事をしていきたいものだと思うのだ。かつて、米国の民族学者F・スタール博士はそのことに触れ、ついで日本人は誰もが雛と人形のちがいを知っている、と指摘されていたのは随分と昔になる。
心の時代が唱えられて久しいが、天竜寺の平田晴耕老師は、心を考える時代だとおっしゃる。今こそ長く受け継がれた雛をわが国固有の文化として捉え、祖先たちの注いだ心を知り、雛に込められる心を考える時代が到来しているといえるだろう。
ひなまつり、雛の節供の由来については、いろいろな解説がなされ、その発展の経緯に関し幾多の考証があって、ひとつ、雛学と呼んでもよいのかも知れないほどだ。しかし、ひなまつりの祭神にあたる雛段飾りが、かたちを整えて今日の発展を見た現在でも、そのかたちの主役というべき十五人揃の構成は、単につよい民俗信仰に支えられ、普及してきたと思われるだけで、そのはじまり、その人数の定着にふれた文献資料、その解明などは見当らない 人形史の流れのうちでいわば、盲点といってもよいだろうか。その数の根拠を訊かれて雛飾りに注がれた心を知って、その答えは用意されたい。
十五人揃雛段飾りには、すぐれた様式美があり、その構成にはひなまつりの完成された文化の香りさえある。正統派の雛飾りとして、雛人形にたづさわる者はあらためて認識を深め、自覚しなければ、ゆめゆめ業界の発展はゆるされまい。
すぐれものだけが時代を超えて残るのは真実だ。憶測が許されれば、十五人揃発祥に思いを寄せたい。
(次回は魔方陣の図にその答えの一つを求めて―)
「にんぎょう日本」1992年2月号掲載
雛人形 お雛さまは、右か左か
雛人形 お雛さまは、右か左か
右か左か
一陽来福、今それは、歳旦の日の出の一瞬を指していうように思う。大晦日の暗闇の時間を待って、御来光を浴びた瞬間から年が改まる。人々は素朴に時の流れを感じ、白い息を見つつ太陽の光と熱に感謝の念を抱き、新しい力を宿す期待をもって手をあわせる。
しかしこれは、厳密には冬至を指していうことば。冬至の日は太陽が最も斜めに照らす日で、昼間が最も短いため、最も弱い太陽となるわけだ。その後次第に光と熱を増しながら、昼間が長くなってくる。太陽の光と熱は穀物の成長に欠かせぬものだし、人間の生活も明るい暖い春の光への期待があつて、冬至が一陽来福の日、その萌しを春に向ってつなぐ日とされた。
夏至から少しずつ夜が長くなり、陰極って陽が萌す原理で、冬至を年の始めとする冬至正月の暦が、中国の周の時代につくられている。
我国では明治の改暦以前、年号や方角、時刻などを十干十二支で表わした。十干十二支は植物の成長の様子を表わすものと孝えられるが、陰暦でいう十一月は子の月であり、五月が午の月となっている。子の字は陰と陽の交りを表わし、時刻としても昨日の了りと今日の一が重なつて子の刻がある。
また、午は昼の十二時を指す正午として今でも使われている。地球上の南北を示すのは子午線だが、一年の冬至夏至を結ぶ線も十二カ月が円形に廻る図式では子午線と呼んで暦の上では大切にされた。
蓋、子午線は古代の中国哲学の原理である陰陽思想の要素の一つになっている。陰陽というとかび臭く・古い考えと思われるが、実は天文観察から生まれていて、意外に科学的で奥深く究められ、自然界の摂理を文字に置きかえて現代の我々が読んで新鮮に感ずることが多いのに驚く。十二月の図を陰陽で表わすと、子午線を軸に右まわりをすると右半分、つまり冬至(子)から夏至(午)までが陽の気候であり、午から子の月に向つて陰の気候になる。そして、一日の動きにもそれがいえる。
方角方位として考えると、子が北で午が南となり、十二支を配当すると東が卯、西は酉、北東は丑寅、南東は辰巳、北西は戌亥、南西は未甲となり、方位と時刻月次が同会する丑寅は鬼門、辰巳芸者、いぬいの蔵など、今でも時々耳にする。卯は東で、卯辰は太陽の昇る刻限だ。酉は西で陽が沈む。
人の世のさまざまが写し出されていると考えられる雛の世界にこのことを当てはめてみれば、対雛の男雛を陽、女雛を陰とする見方は容易だし、対雛の鎮座の位置の自然の姿が解る。因みに、何人も絶対に曲げることを赦さぬ仏像の儀軌によると、その左手は慈念手、右手は悲念手とも呼ばれ、仏教の原点の慈悲の心を意味する。慈は如来の心で父親の愛であり、悲は普く包む観音菩薩の心であり母の愛を表わすとされる。対雛の男女の位置について、右か左かどちらが本当なのか問答は多いが、数年来私はその答を迷わぬことに決めている。
「にんぎょう日本」1992年1月号掲載
ひな祭りと雨水について
ひな祭りと雨水について
何代も以前の祖先たちが、生活の基準として千年以上に亙、従ってきたもともとの原理に照らし、私たちに伝えられた数々の祭りや習わしを、読み取らねばならない。
初節句を迎えた女児のために飾るお雛さまは、毎年迎える雛節供に向けて少なくとも明治の改暦以前には、二月の春分彼岸会(中日をはさんでの三日間)が済むのを待って、雛建が(三月三日の節供に向けて、雛飾りをする)があった。
ごく最近、二十四節気で一月の節中雨水が雛建の日で、二月節気啓蟄の日お雛飾りをしまうのが昔から伝わってきた雛人形解説を聞く、しかしそのような説は、伝わっていないのが事実といえる。
明治の改暦後の暦では、正月の節気雨水が二月の月中頃にあたり、旧暦二月の啓蟄は、新暦では、三月の六日頃に当たるので、現在の三月節供に準じ当てはまる故と考えられるが昔からの言い伝えにあたらぬ。
大戦後かなりの期間、各年のお節句には、新暦の節供、旧暦の節供の地域が存在した(現在も旧暦や、月遅れの地域がある)。業界でも、新旧地域向けの対応が続いたのは、記憶に新しい事である。
ただ桃の節供の季節感は、昔の呼び方で三月は辰の月といい文字通り自然界に水があふれ草木が勢いよく大地を覆う。
上巳の節供の元々といわれる、巳(蛇)が冬眠から覚め命がけの脱皮をすることで成長をする姿の神秘を昔の人達は、吾身のけがれを祓うみそぎと重ね、生命を生む力を授かってきた女児の節供に結び付け、大切に女児の祭りとして祝ったに違いないと考える。
世代三代の意味 -七段飾りを読み解く13-
世代三代の意味 -七段飾りを読み解く13-
世代三代と三人仕丁 -七段飾りを読み解く12-
世代三代と三人仕丁 -七段飾りを読み解く12-
ひな壇の五段目に並ぶのは、3人の仕丁です。仕丁とは貴族などの家で炊事や掃除などの雑役のことです。
向かって左から、口開きの怒り(中年)、泣きべそ(若い男)、箒を持った口開きの笑い(年寄り)と並びます。
この世代3代というのは面白いもので、人間をよく表しています。
例えば大工仕事でいえば、年寄りはお金も足りて仕事も足りて、物事を聴く力があり、教える力がある棟梁格なのでにこにこ笑っている。真ん中は、体は成人しても仕事はまだ半人前の泣きべその若者。そして怒っているのは仕事もできて一生懸命シャカリキになって働いている中堅。
三人仕丁はこの等に、時間の流れをもっている組雛なのです。
並び方は、中左右と言って、真ん中に一番偉い人、左に次の位の人、右に一番下の人という神道の並び方をしています。やはり向かって見ると左右は逆なので、若者、年寄り、中年の順に偉いことになります。
若輩者が一番偉いというのは不思議かもしれませんが、若いというのは未来に対する力を一番もっている存在ですので、若い方が尊いとしたんですね。
守護像としての随身(ずいじん) -七段飾りを読み解く11-
守護像としての随身(ずいじん) -七段飾りを読み解く11-
ひな壇の4段目、左右の端には随身が控えています。
随身というのは、高官の警護などをした武人のことです。左上位なので左にいる方が位が高く、向かって右の年配の姿が左大臣で、向かって左の若い姿が右大臣です。
向かってみると左右が逆なのでわかりづらいかもしれません。
武人である彼らは、狛犬や神社の門などにいる阿吽(あうん)像、随身像と同じような役割を持っています。
これらの一対の像をよく見てみると、一方が口開き、一方が口結びをしています。また、阿吽像は、口を開いている方の手は開き、結んでいる方の手は同じくぎゅっと握られています。
彼らは背後にいるもの(ひな壇であればおひな様とおだいり様)を守る守護像なので、陰陽の理を元にした結界を張っているのです。
以前にもお話ししましたが、ひな壇は向かって右が陽、左が隠として作られています。
随身もこれに従い、向かって右の左大臣は陽なので口開き、右大臣は隠なので口結びになっています。
今の五人囃子が同じ髪型ばかりの理由 -七段飾りを読み解く10-
今の五人囃子が同じ髪型ばかりの理由 -七段飾りを読み解く10-
組雛ごとに売られる方法は形を変え、やがて店頭では十五人揃の雛段飾りと、飾り段用九品の雛具でセット販売される規格が広がり、雛人形の業界は隆盛期を迎えました。
しかし、売れすぎると今度は従来の生産では間に合わなくなったのです。他聞にもれず、五人囃子の雛頭はみんな、大鼓の型が使われるようになりました。つまり、五人一律の簡略形がとられるようになったのです。
十五人それぞれの頭を用いた本来の伝統は、少し消え失せるかのような流れで現在に至っています。
私どもの作る雛人形は、今も五人囃子の顔は一つずつ変えています。なぜなら、五人の髪型には子供の成長への願いが込められているからです。
五人囃子がどうして童子の姿をしているのかについては、また別の回でお話ししたいと思います。
五人囃子の髪型 -七段飾りを読み解く9-
五人囃子の髪型 -七段飾りを読み解く9-
少し専門的ですが、五人囃子の童頭の形を向かって左から紹介します。
・大きく口を結んだ太鼓:どんずりに結び上げの鬢(びん)、髪がワンカ、やっこ鬢はり
・口開きの形の大鼓(おおかわ):どんずりに前下げの髪、長い下げ結びの鬢
・ちょぼ口の小鼓、どんずりに長く下げ結びの鬢
・吹きよせ唇の笛:カムロの髪型
・口開きの謡
(紹介した結髪・面相については、頭師としても長老である鈴木柳蔵、石川潤平氏にその確認を仰ぎました)
こうした一連の五人囃子の規格は広く使用され、昭和30年頃までその形式は続きました。
その姿は当時はごく当然のものとして扱われていました。
またその当時までは、親王、官女、五人囃子、随身、仕丁はそれぞれ組雛として桐箱や前硝子の飾り箱などに入れて販売されていました。
これは御殿飾りや雛段飾りが十五人揃えになるのを前提にして、好きなようにひな壇の十五人を集められるというもので、自由で縦横な販売がされていました。
ですが現在では、五人囃子の髪型はみな同じというものが広く販売されています。
五人囃子だけが子どもの顔 -七段飾りを読み解く8-
五人囃子だけが子どもの顔 -七段飾りを読み解く8-
さて、どうして五人囃子は童顔なのでしょうか。
親王対雛(おひな様とおだいり様)を主役とした七段飾りの雛十五人揃。その中でも五人囃子の組雛(幾つかで1まとまりの雛)は、ひな祭りを音楽で囃す、欠かせない存在です。
赤ちゃんの形代(かたしろ)でもあるおひな様・おだいり様のために、健康で良い一生を送れますようにと、穢れない幼な子の姿で五人囃子にうたい上げてほしい。そんな意味をこめたのでしょうか。
ひな壇には男女対雛を最上段に、三人官女がすぐ下の段、三段目に五人囃子、四段目は随身、五段目に供仕丁で十五人の雛が陳列されます。
その中で五人囃子の組雛だけは、唐子(からこ:中国風の服装や髪型をした子ども)の童顔が用いられ、他の雛たちには成人した顔立ちと髪型の頭(しょう顏)が用いられてきたのです。
幼児の無心の尊さと五人囃子 -七段飾りを読み解く7-
幼児の無心の尊さと五人囃子 -七段飾りを読み解く7-
幼い子のあどけない、時間も忘れて遊ぶしぐさ。声をかけても振り向かない、汚れても気にしない無心さ。
そんな三昧の境地とも呼ぶべき童心の純粋さは、誰も憎めず、むしろ尊いものだと思います。
雛人形の五人囃子は、こういった無垢な子どもの顔で作られることになっています。
昔から中国では、十才を幼、二十才を弱、三十才を壮、四十才を強、五十才を艾(がい)、それ以上は十才ごとに耆(き)、耄(もう)、たい背(たいはい:「たい」の字は魚へんに台と書く)というふうに呼んでいます。
また七才は悼(とう)、五才は童(どう)、三才は孩(がい)ということで、各年代に呼称をつけることで、その歳の人のあってほしい姿を表現しました。
悼と耄、つまり幼児と老人は罪があっても刑を科されず、社会のきまりの外において見守ったといいます。
五人囃子の子どもの姿には、そんな自由さも込められているのでしょう。