科学万能の現代生活にあっても、多くの人々が年末年始の時期には、日記と共に運命暦を買い求める。運命暦は、あるいは毎年の定着したベストセラーといえるのかもしれない。そしてそれは、人々の誰もが心のどこかで明日への不安と闘いながら毎日の生活を続けている証といえるだろう。気やすめといいながらも、何かを心のより処にしたいのが人情というもので、そこには昔も今もない。深い深い心の底では、自然界の大きな営みの力を知らず知らずのうちに怖れているのかも知れない。
魔方陣は、その大自然の目に見えぬ営み、運行作用を数字におきかえて具体的にし、その原理を示すもので、その数理の法則は四千年以上の時を経て科学万能の時代の今日に至っても万古不易、宇宙の鉄則とされている。
魔方陣を構成する一から九までの数字はそれぞれの性質をもつ生命エネルギーと解釈できるが、一つ一つが独立して存在するのではなく、便宜的に九つの種類に分けただけのことで、一体となって、限りなく、循環作用し、自然界を支配することになる。私達のすぐ身の周りが電波や磁界作用、肉眼で見えぬ限りない色々な素粒子のとびかう空間であることを感じつつ、魔方陣の数字の各々の循環の順序と原子核を中心に廻転する電子の軌跡とが同じ様子だと聞かされると驚く。そして目には見えぬその作用を何となく理解することができるだろう。
洛書は魔方陣が揚子江の治水の際に現れた神亀の甲羅にこの図が発見されたという起源に因んでつけられた名称といわれている。広大な国土を治めるために天文治水に心を砕いていた古代中国の話だ。
魔方陣の縦、横、斜の各数の和が十五になるという摩訶不思議が雛飾りの様式にとり入れられたのは、江戸時代の後期と考えられる。江戸中期の奢多禁令を経て、座雛の形が小型を余儀なくされると、その見栄のために雛の数がふえ、調度も多種多彩となり、その飾り付けは拡がりを見せ、雛壇の定着、雛段数の増加があった事は容易に考えられる。明治の改暦以前の社会では、紀年月日は勿論、方角や時刻等々に干支があてられ、生活の隅々にまで及んでいた。また、徳川三代に仕え、その影響頗るだった天海僧上の天源術を始め、江戸幕府の為政にまつわる中国哲学思想の波及は、一般階層の魔方陣の魔訂不思議への理解が容易な土壌だったといえるだろう。
「にんぎょう日本」1992年3月号掲載
投稿者: yoshiteiadmin
九星巡環
九星巡環
魔方陣は古代中国の天文観察 の中で生まれたといえるが、自然界に陰と陽の二元の気が充満して森羅万象をくり返し、止まないという考え方がその根幹をなしている。南北の線によって空間 を三分し、東西の線によってさらに空間を二分して四分し、その四分された空間をさらに三分し、その四正四隅を入方位とし、中央を加えて九方とする。中央に は大極天源の考え方があり、陰と陽の二元が相対して存在する考え方があって八方角に自然界の現象をあてはめて八卦が生まれた。相撲の行司が「はっけよい」 と、声をかけるのはそのことからきているそうだ。状態は十分だ、頑張れと力士に休みない格闘を促す掛け声と考えるが、力士が力強く方円の上俵を踏みならす ことで、神々に自然の季節の循環が順当にと祈願を促す呪いとしての意味もあるのかもしれない。
八方位に自然界の見たまま の現象をあてはめて考えた図に河図(かと)と呼ばれるものが洛書の以前に考えられており、これを先天方位という。また、九方に一瞬の間断ない自然界の変化 活動のきまりとして現象をあてはめたのが洛書、つまり魔方陣でありこれが後天方位とされる。後天方位は人がこの世に生を受けてから死ぬまで自然が作用する ものとされ、先天方位は人が母胎内にて受ける作用とされている。
魔方陣は九つの数字を九星 と呼んで人の星として考えられ、天象の活動作用を表すのはもちろんだが、人に作用し続ける変化活動の図とされている。九星の巡行は一界の循環が九年であ り、九ヶ月であり九日間であり、さらに時刻もそうである。九星にはそれぞれ一白水星、二黒土星、三碧木星、四緑木星、五黄土星、六白金星、七赤金星、八白 土星、九紫火星という名称がある。魔方陣に図示された位置が本位であり、その図盤上の各方位の方象のもつ意味が九星のおのおのの象意となり、図示された各 方位を循環する。つまり、一白は北、二黒は南西、三碧は東、四緑は南東の象意をもってのようにである。
中央は五黄であり、太極と され、各星が中央に回座した年が人の誕生の年にあたる。平成四年は八白が中央に巡るので、節分以降に生まれた赤ちゃんは、八白土星を本命星にもつ人として 一生を過ごすことになる。ここで注意を要するのは、五黄土星が中央太極を出て八方位に回座する八年そして八ヶ月の間、強い兇方作用が生ずる。つまり五黄が 中央に回座するとき人々の周囲に大兇方作用が及ばぬことになる。その図が本位図であり魔方陣となる。人々は魔方陣に生じる十五という数字に安泰を求め、自 然界の作用の魔詞不思議をひな段の信仰の呪術にかえたと思えるのである。
「にんぎょう日本」1992年4月号掲載
なぜ15人か?
なぜ15人か?
- 込められた心を考える -
なぜ15人か?
ひなだんという呼称は、雛段飾りからひとり旅をして、国会議事堂のひな壇や、さまざまな会議場お祭広場のひな壇であったり、構築物や事象の形容にも用いられて活躍。地についた日本語としてひとり歩きをしている。そのことを考えると、雛づくりにたづさわる者として肩身の広い思いがする。
そして、その仕事に自信を持ちたいものだと思う。
雛は日本国有のもので、世界に冠たる人形の文化として誇りを持ち続けながら仕事をしていきたいものだと思うのだ。かつて、米国の民族学者F・スタール博士はそのことに触れ、ついで日本人は誰もが雛と人形のちがいを知っている、と指摘されていたのは随分と昔になる。
心の時代が唱えられて久しいが、天竜寺の平田晴耕老師は、心を考える時代だとおっしゃる。今こそ長く受け継がれた雛をわが国固有の文化として捉え、祖先たちの注いだ心を知り、雛に込められる心を考える時代が到来しているといえるだろう。
ひなまつり、雛の節供の由来については、いろいろな解説がなされ、その発展の経緯に関し幾多の考証があって、ひとつ、雛学と呼んでもよいのかも知れないほどだ。しかし、ひなまつりの祭神にあたる雛段飾りが、かたちを整えて今日の発展を見た現在でも、そのかたちの主役というべき十五人揃の構成は、単につよい民俗信仰に支えられ、普及してきたと思われるだけで、そのはじまり、その人数の定着にふれた文献資料、その解明などは見当らない 人形史の流れのうちでいわば、盲点といってもよいだろうか。その数の根拠を訊かれて雛飾りに注がれた心を知って、その答えは用意されたい。
十五人揃雛段飾りには、すぐれた様式美があり、その構成にはひなまつりの完成された文化の香りさえある。正統派の雛飾りとして、雛人形にたづさわる者はあらためて認識を深め、自覚しなければ、ゆめゆめ業界の発展はゆるされまい。
すぐれものだけが時代を超えて残るのは真実だ。憶測が許されれば、十五人揃発祥に思いを寄せたい。
(次回は魔方陣の図にその答えの一つを求めて―)
「にんぎょう日本」1992年2月号掲載
左か右か
左か右か
一陽来福、今それは、歳旦の日の出の一瞬を指しているように思う。大晦日の暗闇の時間を待って、御来光を浴びた瞬間から年が改まる。人々は素朴に時の流れを感じ、白い息を見つつ太陽の光と熱に感謝の念を抱き、新しい力を宿す期待をもって手をあわせる。 しかしこれは、厳密には冬至を指していうことば。冬至の日は太陽が最も斜めに照らす日で、昼間が最も短いため、最も弱い太陽となるわけだ。その後次第に光と熱を増しながら、昼間が長くなってくる。太陽の光と熱は穀物の成長に欠かせぬものだし、人間の生活も明るい暖い春の光への期待があつて、冬至が一陽来福の日、その萌しを春に向ってつなぐ日とされた。 夏至から少しずつ夜が長くなり、陰極って陽が萌す原理で、冬至を年の始めとする冬至正月の暦が、中国の周の時代につくられている。
我国では明治の改暦以前、年号や方角、時刻などを十干十二支で表わした。十干十二支は植物の成長の様子を表わすものと孝えられるが、陰暦でいう十一月は子の月であり、五月が午の月となっている。子の字は陰と陽の交りを表わし、時刻としても昨日の了おわりと今日の一はじめが重なつて子の刻がある。
また、午は昼の十二時を指す正午として今でも使われている。地球上の南北を示すのは子午線だが、一年の冬至夏至を結ぶ線も十二カ月が円形に廻る図式では子午線と呼んで暦の上では大切にされた。
また、子午線は古代の中国哲学の原理である陰陽思想の要素の一つになっている。陰陽というとかび臭く・古い考えと思われるが、実は天文観察から生まれていて、意外に科学的で奥深く究められ、自然界の摂理を文字に置きかえて現代の我々が読んで新鮮に感ずることが多いのに驚く。十二月の図を陰陽で表わすと、子午線を軸に右まわりをすると右半分、つまり冬至(子)から夏至(午)までが陽の気候であり、午から子の月に向つて陰の気候になる。そして、一日の動きにもそれがいえる。
方角方位として考えると、子が北で午が南となり、十二支を配当すると東が卯、西は酉、北東は丑寅、南東は辰巳、北西は戌亥、南西は未甲となり、方位と時刻月次が同会する丑寅は鬼門、辰巳芸者、いぬいの蔵など、今でも時々耳にする。卯は東で、卯辰は太陽の昇る刻限だ。酉は西で陽が沈む。
人の世のさまざまが写し出されていると考えられる雛の世界にこのことを当てはめてみれば、対雛の男雛を陽、女雛を陰とする見方は容易だし、対雛の鎮座の位置の自然の姿が解る。因みに、何人も絶対に曲げることを赦さぬ仏像の儀軌によると、その左手は慈念手、右手は悲念手とも呼ばれ、仏教の原点の慈悲の心を意味する。慈は如来の心で父親の愛であり、悲は普く包む観音菩薩の心であり母の愛を表わすとされる。対雛の男女の位置について、右か左かどちらが本当なのか問答は多いが、数年来私はその答を迷わぬことに決めている。
「にんぎょう日本」1992年1月号掲載
昭和55年1月17日産経新聞掲載記事
昭和55年1月17日産経新聞掲載記事
昭和55年1月17日産経新聞掲載記事(1980年1月17日 (木))
五月人形Q&A NO26
五月人形Q&A NO26
Q ハンドメイドとは
A ハンドメイドとは何だろう?
およそ節句品業界において手作業なしの品物はありません。
この問いの聞きたいことは、価格の違いなのかと思いまして、
その線でお答えします。
手仕事は、国内の一級の職人の仕事、並の職人の仕事、内職でできる仕事、海外に労働力
を求め生産されたもの。優しい工程に分解し内職や海外生産にの力を借りて作るもの、
熟練した職人がすべて作るもの、両方を組み合わせて作られるもの。
一つ一つの部品についても手で加工していくもの、機械を使った工程でつくられるもの
金型代、ロット数など。
それに素材のグレード、甲冑でいえば、金箔加工なのか、金メッキ(金の純度は、)
部品の材質は、鉄なのか、真鍮なのか、銅なのか、和紙なのか、クラフト紙なのか、革なのか
アルミ合金なのかなど。
編み糸は、絹なのか、綿なのか、化繊なのか、このようなことが入り混じって、
単価の違いが出てきます。
五月人形Q&A NO25
五月人形Q&A NO25
Q 端午の節句のお祝いってどうするのか?
A おうちの中で、神様にお供え物をして、お願いごとをする。
おうちですから神職がいるわけではないですが、お願いが済んだら
直来です。締めくくりとして、お子様に愛情をお持ちの方々をお招きして、
食事会をしていただくことが大切かと考えています。
食事会には、お子様がこれからも何かとお世話になるでしょうがよろしく
お願いしますという意味もあります。
お集まりの皆様で、赤ちゃんの将来、健やかな成長など一緒にお願いしていただく
意味もあります。
又お祝いを頂いた皆様には、お返しの意味もあります。
食事会されることをお勧めします。
五月人形Q&A NO24
五月人形Q&A NO24
端午の節句とはどういう意味ですか?
男の子の誕生と、成長を祝う(神様にお願いする)行事となっています。 奈良時代から続く古い行事で、元々は月の【端】(始め)の【午】(うま)の日という意味で、現在の様に五月のみのものではありませんでした。
しかし、長い歴史の中で、いつのまにか五月五日に固定されてしまいました。
奈良・平安時代の端午には、災厄を避けるための行事が行われる重要な日でした。
節句とは、季節の節目の行事で、「節供」と書くこともあり、季節の節目に神に供え物をして、お下がりを親族や家族で
いただく行事という意味合いもありました。
鎌倉時代に入り武家社会に移ると、「菖蒲」と「尚武」(武士道を尊ぶことの意味)の音をかけて、端午の節句が尚武の節日として祝われるようになります。 そして、江戸時代になると次第に現在と近い形で端午の節句が祝われるようになりました。
五月人形Q&A NO23
五月人形Q&A NO23
Q.五月人形 次男の場合どうすればいいのか?
A.以前はご兄弟も多く、形代(赤ちゃんの身代わり)としての意味が説明されることもなく、
長男は、鎧や兜で、お祝いし次男以下は、ケース人形で済ましたおうちが多かったようですが、
近年では、ご兄弟も少ない中、同じようにやってあげるというお客様が増えてきているように思います。
お客様の一例ですが、お父さんとなられた次男だった方が、次男のお祝いのためご来店されて、昔兄貴のは、
兜で自分のは、ケース人形だった。
息子のは、長男のと同様のものにしてあげたいと言われ、ご長男の時と同様のサイズの兜をお買い求めいただきました。
子供心になぜ兄貴のは、という気持ちを持ったのだそうです。
確かに、第一子と第二子以下では、親の意気込みが違うのか知れませんが、こどもの側からするとどうであったかを考えさせられる場面でした。
双子のお客様も、一つ一つのグレードを少し落としても同様にしてあげたいというお客様が、本年数例ございました。
私どもでは、次男の方がお生まれになった場合、お兄さんの時に用意された屏風の前に、2組の本体を並べ、場所を広げず飾る方法をお勧めしています。
お金もかかることですし、宗教ではありませんので、こうでなくては、いけないということは、言えませんが、
一人一人にお祓いをやってあげることですので、ご参考になればと思います。
伝統工芸品としてのお雛様について、少し話をしました。
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栃木県の伝統工芸品
さのまるくんが当工房を取材した記事です。
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五月人形Q&A NO22
五月人形Q&A NO22
Q端午の節句のお祝いの挨拶例文!
Aお節句の食事会に就て、考えてみたいと思います。
飾り物や料理も準備し終わり、親族も集まりいよいよお祝いの席を開く時がやってきました。
まずは、お越しいただいた皆さんにご挨拶をします。
本日は、○○の初節句にお越しいただき、ありがとうございます。
また、たくさんのお祝いのお気持ちをありがとうございます。
おかげさまで、〇〇もすくすくと成長しています。
どうかこれからも〇〇の成長を温かく見守っていてください。
ささやかではありますが、お祝いの食事を用意しましたので、
今日はゆっくりとくつろいで楽しんでいってください。
それでは、〇〇の初節句を乾杯で祝福したいと思います。
乾杯!
その後皆さんに赤ちゃんを抱っこしてもらいよろしくも大切なことかと思います。
食事や歓談もある程度楽しんで落ち着いてきたら、お開きの御挨拶もしましょう。
気心しれた仲なら帰りも気遣わなくていいかもしれませんが、
いつお開きになるのか、気がかりになっている事もあるかもしれません。
あまりに早くお開きになるのも、失礼と思われるかもしれないので、
食事が終わって長らくまったりしているようならお祝いの席の締めの挨拶をして、一区切りつけましょう。
本日はお楽しみいただけたでしょうか。
こうして皆で食事をする機会に恵まれたのも、〇〇が産まれて無事に成長してくれたおかげです。
そして、〇〇が無事生まれることが出来たのも、妻や、私たちを支えてくれた両親のおかげだと思っています。
これからも、〇〇共々よろしくお願いします。
とりあえず、祝いの席はこれでお開きにしたいと思います。
今日は、お越しくださり、ありがとうございました。
こんなことで食事会をやられたらよいように思います。
五月人形Q&A NO21
五月人形Q&A NO21
Q端午の節句、食事会について
A お節句のお祝いは、おうちの中でそっと行われるお祭りだと考えています。
祝という字は、神様にお願いごとをする意味もあるからです。
そもそも端午の節句の日に合わせて、おうちにお子様のひとがたを用意して、
無事成長を願う祭りです。
ご存じのように神社でお参りをした後には、直来で、御神酒をいただいた
経験がおありになるかと思います。
神様にお供えしたものをいただくことで、霊力を授かるという信仰は、
正月の鏡餅と、お雑煮の風習で、全国に根付いていると思います。
ですから、赤ちゃんに深い愛情を持つ方々に、お集まりいただき一緒に
無事成長を祈っていただく。そして、集まっていただいた人たちにも
赤ちゃんの生末を見守っていただくようお願いし(披露目)、食事会をするというのが、
整ったお節句の姿なのではと考えます。
五月人形Q&A NO19
五月人形Q&A NO19
Q.五月人形とは、どういうものを指しているかについてです。
A.五月人形というと、端午の節句に使う品物一般を示している
のが現状なのだと思います。
三月と比較すると、五月のケース人形をさしているイメージがありますが、
鯉のぼり、武者幟、鎧兜、武者人形など、端午の節句に使われるお人形全部含めて、
五月人形と総称
されています。
伝統工芸品としてのお雛様について、少し話をしました。
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五月人形Q&A NO18
五月人形Q&A NO18
Q.どうして鯉のぼりを立てるのは、なぜだろうということです?
A.鯉のぼりのルーツは、お雛様より新しく武家社会になってから
と言われます。
分別すると今でいう吹き流しが時代が古く意味としては、
依り代、(神様におりてきてくださいという目印)周りの人たちに、
披露目(男子が生まれたことを知らせるの意味)があったと考えられております。
鯉のぼりは、吹き流しと重なる意味があり、時代が新しくなりますが、
中国の登竜門伝説(鯉が滝を登りきると竜に変身するという)に寄せて、出世の願いがあります。
最近の住宅事情では、大きな鯉のぼりは、立てられなくなっている
傾向は、否めませんが、五月の空に鯉のぼりは、いいですよね。
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五月人形Q&A NO16
五月人形Q&A NO16
Q.五月、内飾りを飾るのは、なぜだろうということです?
A.お家の中に飾るものの総称ですが、子供大将や
武者人形などで、五月の節句を行うようにセット組
されたり、鎧兜で行うようにセット組されたものがあります。
どちらでもよいならば、人形は、ひとがた、形代として
三月同様の意味があるからということは、わかりやすいと思いますが、
武具を持ってきて、同様の意味をといってもピンと
こない方が多いと思います。
鎧兜も、身代り、形代と考えます。
それは、武士中心の時代は、長く戦に関わった人は、
大勢いたと考えられます。
お屋形様などと言われました。
このころ主が戦に出ている間、(陰膳)家族は、家に中に
鎧を飾り、その鎧をご主人に見立てて、朝に晩にご飯を上げ下げする。
そうすることで、主が無事に家に帰ると願い、または信じて、
行われていました。
そうすると、鎧兜をお子さんの身代わりとして、鎧兜も節句の
あがものや、なでものとして扱うことが不思議では、ないと
思います。
ですから五月人形の内飾りは、お雛様同様のものだと
お考えいただいてよいと思っています。
五月人形には、そのほかにもお人形や、道具、つるし飾り
などありますが、赤ちゃんの将来に対してのお願い、外の
のぼりもお願を持った飾り物といえると思います。
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五月人形Q&A NO14
五月人形Q&A NO14
Q.破魔弓と一緒に飾るのか
A.答えは、違うと考えます。
そもそも、破魔弓は、暮れから正月の時間、丑の月から寅の月にかけての
丑寅の時間(鬼門の時間)の間の鬼除けで、お子さんと共において
飾っていただくもので、時期が済んだらしまっていただくものです。
実際の生活に合わせてみますと暮れの時期お母さんたちは普段にも増して忙しくなり、
お子様から目が離れがちになります。そこで、12月中旬正月の準備を始める頃になったら
破魔弓を飾ることを目安に、子供から目が離れがちになることを再認識していただけたら
役目を果たしていることになると考えます。正月15日過ぎ、普段の生活モードになったら閉まっていただく
こんなことで、出し入れを続けてあげていただけたらと思います。
ですからお子さんたちが自分で体調管理ができるようになったらしまわない飾り物にしてもよいかと感じます。
赤ちゃんに邪気がつかないように願い飾る破魔弓は、
外から赤ちゃんに向かってくるものを受けないようにするお願いです。
節句でお願いするのは、赤ちゃん纏わりついているものを払ってもらおうと願うものです。
似てますけど役割が違うものなのです。
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五月人形Q&A NO15
五月人形Q&A NO15
Q.お供え物って何?
A.節句は、もともと節供と書きました。
節の神様にお供えをするの意味と考えられています。
そもそも節とは、昔の暦の中で、72,24,12など一年を分けて、
農耕民族であった日本が、この日に田植えをするといいとか、
刈り取りをするとか、草取りをするといいなど、お米をお米を中心に
農耕作業の指示が入っていたりして大変重大な役割をしていたようです。
その中で大きな季節の変わり目などに節供のお祭り日を設けたようです。
節供とは、季節循環の節目に、神様に、おうちに来てもらって、
お願いごとをする日、正月が一番有名ですが、お餅を供え、
同じものを家族が食することで力がもらえるという民間信仰です。
これは、町で行う御神輿などとは違い、お家の中で、そっと行われた
一般大衆の家族の祈りの文化(まつり)であったと考えられています。
その小さなお家の中のお祭りに、神様に来てもらうということで、
お供え物をしているわけです。
五月人形飾りの下に敷く緑(ヨモギ色)の毛氈を結界として、
神様をお招きしてお願い事をする場所を準備をしているわけで、
その中で、忘れてはいけないのがお供え物です。
五月は、柏餅ここにもいわれがあって、柏の葉は、新芽が出て行いと古い葉が散らないそうで、
昔の人が、畏敬の念を持って、自然を観察していたことに、感心します。
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五月人形Q&A NO13
五月人形Q&A NO13
Q.五月人形 と破魔弓について、
A.五月人形は、お子様の禊、祓いのために飾ります。
禊とか祓いとかいうものは、ご本人について回っている厄災を
払い落とすことです。
そうすることで、無事に清浄に育ってもらおうというお願いをするお祭りです。
破魔弓は、暮れから正月にかけての丑寅の時間(鬼門)邪気(鬼)除けで飾ります。
こちらは、ご本人に外から邪気がつかないようにと願い飾る品物です。
そのように、赤ちゃんの誕生に対して、おなかの中にいるうちから、
腹帯に始まり、七五三まで、成長に対して、時期を置き念入りに、
行事を重ね願う 祈りの文化が続いてきているのだと考えています。
一年中一瞬も緩むことなくということは、難しいと思います。先人たちが、、
師走の時期や、節句の時期は、お子さんの体調に気をつけてほしい
時期だと考え、祭事や飾り物をすることで、注意してすごした証と
考えております。
この日本独特の文化を大事に継承していけたらと願っております。
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五月人形Q&A NO12
五月人形Q&A NO12
Q.五月人形 について、
A.五月人形というと、現在、外幟と、内飾りの総称になっているように
思います。
それぞれの飾りの意味について考えてみたいと思います。
先ず外幟についてですが、大きく分けると、鯉のぼりと、
武者絵幟になると思います。
外幟は、男子の出生に対して、近隣の人たちへの披露目の意味が
あったようです。それから、鯉のぼりや、武者幟は、出世を願うもの、
もうひとつは、寄り代といって、神様に降りてきていただく目印で
あったと考えられております。
次に内飾りですが、大きく分けるとお人形と、鎧兜になります。
お人形は、おひなさま同様、形代 撫で物がわかりやすいにですが、
鎧兜については、なぜなのかと考えると、武家の社会の中で、
主人が、戦に行っている間、奥様が、床柱を背に、鎧兜を飾り朝晩の食事を備え、鎧兜を、
ご主人の身代わりに設えていた時代があります。
この朝晩いない人の分の食事をお供えする行為を陰膳と言います。
お聞きになったことがある方が多いのではないでしょうか?
これは、鎧兜を人の身代わりと考えた行為で、そのことを照らし
合わせると、お人形と変わらないことに気付きます。
そこで、内飾りは、人形同様に、鎧兜をひとがた(お祓いの具)としてとしての意味を
持っていると考えるのが自然かと思います。
一つの流れで説明すると男の子が生まれたときに鯉のぼりや
武者幟を立て、お子さんの出世やたくましさを願い、神様に
お家に来てもらい赤ちゃんに纏わりつく一年分の厄災をお人形や、
鎧兜に触って頂くことで、そちらに移し、おしまいになることで、
封じ込めていただく。
こんなことをしているお祭りなんだと思っていただけば、
わかりすいのかと思います。
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五月人形Q&A NO10
五月人形Q&A NO10
Q.五月人形 いつから、
A.五月人形をいつ飾り始めるかということかというご質問となのかと
思います。
昔は、飾る期間は、非常に短かったと聞いています。
販売も短期で、何日などという取り決めは、はっきり聞いていませんが、
お祭りですから、一週間ぐらいは、最低飾りたいように思います。
後は、諸説いろいろありますので、難しく考えず、見て楽しむ時間と
して、お彼岸を過ぎたら、自由にしていいように思います。
肝心なのは、お祝いの日に何をするかで、赤ちゃんの無事成長を
(赤ちゃんに纏わり付いている厄災を五月人形に触れることで変わってもらい)
お願いしたら、赤ちゃんに愛情の深い人たちで、食事会を
していただき早めにおしまいになることかと思います。
よく雛祭りのとき早くしまわないと嫁に行き遅れるなどの話がありますが、
これも、先人達が、「ハレ」の日には、晴れ着を着たり、神聖な食べ物である餅や
赤飯を食べたり、お酒を飲んで祝ったりして、特別な日であることを示します。
古来より、日本人は、木にも草にも、土にも、火にも水にも神様が宿っていると感じ、
これを「八百万の神」といって畏敬の念をもって接してきました。
そして、身辺で起こるよいことも悪いことも、神様のおかげ、
自分たちのせいと考え、人々は祭り(祀り)をつかさどるようになりました。
祭りの華やかさ、行事の晴れやかさ、ケガレを落とした後の
清々しさが「ハレ」であり、「晴れ晴れ」「晴れ着」「晴れ姿」など「ハレ」の
気持ちを表した言葉がたくさんあります。
「ケ」のひとは、普段日常の生活を指しています。
生活の中で、「ケ」の日と「ハレ」の日のけじめをつけるようにという教えと
そういう教育が大切ということで、作られた言葉と聞いています。
伝統工芸品としての五月人形お雛様について、少し話をしました。
PVをご覧になってみてください。
栃木県の伝統工芸品
さのまるくんが当工房を取材した記事です。
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羽子板について
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吉貞人形工房
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五月人形Q&A NO8
五月人形Q&A NO8
Q.五月人形 何歳まで飾る
A.五月人形を飾る意味にかかわるのかと思います。
五月人形の内飾りを祓いの文化とし、その赤ちゃんの
身代わりと考えた場合、一生飾っていただくのが一番良いことだと思います。
もともと祓いの行事に年齢制限があるわけではなく、お父さんの鎧や兜や人形とお子さんの鎧や兜や人形を一緒に飾って頂いていただけたら最高だと思います。
ただ、住宅事情や、医薬万能の社会となっています現代。一般的には、お子様が簡単に病気をしなくなったり、自身の健康管理などができるようになると意識が薄くなることも否めないように思います。
ちなみに、私どもは、娘ですが、二十歳を過ぎても欠かさず飾っています。
事故や、怪我の無いよう、幸せに生活していってくれるように新生児が生まれた時の、感動や、祈りの気持ちは、変わらないように思います。
そうした、祈り、願いから生まれてきた文化ですから。
伝統工芸品としてのお雛様について、少し話をしました。
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五月人形Q&A NO9
五月人形Q&A NO9
Q.五月人形 ハンドメイド
A.五月人形が手作りかというご質問となのかと思います。
鎧兜の場合、兜の鉢や、小札は、金型貫のものが多いと思います。
金属部品は、工場で金型で、貫いたりメッキをかけたり
ということで、機械工場生産できるものもありますが、
それを編みこんだり組み立てたりする工程は、
手仕事というのが一般的かと思います。また丁寧に作ったものは、金属を使っている場所でも、手打ち鋲、矧ぎ合わせ鉢や、小札を革や、和紙で、作る一貫張のものなど手仕事のものもあります。 それが凝ったものになると、鉢につける星金具や、プレートをはぎ合わせたり、一つ一つ、手で付けていく作業がなされているものや、小札の部分を手張りで行ったものや、一閑張りなどと言われる、和紙などを矧ぎ合わせ漆で固める技法や、小札の裏側を漆塗りにした仕上げにしたり、金属部品に金箔を押したものなど、あります。
廉価の素材プラスチックの鉢や、ボール紙アルミ、合金を、海外などで組上げたもの、材料も樹脂系素材を使ったものもあり、様々です。
いい素材を使って、熟練の職人が手仕事で、本物に近い仕様になればなるほど高額になりますし、前から見える部分だけしか、仕事がなされていないものなどのの価格が、低額になっております。
これは、ものつくりが、どの価格帯の品物を作ろうとしているかというところからの事なので、値引きや、2重価格などに惑わされることなくしっかりした品物が手に入るようにと思います。
写真では、なかなか見えないところや、質感量感、雰囲気など
違って見えることも多いと思います。
御面倒でも、展示してあるものを直にご覧になり説明を
聞いてのお買い物をお勧めいたします。
伝統工芸品としてのお雛様について、少し話をしました。
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五月人形Q&A NO7
五月人形Q&A NO7
Q.五月人形 どちらが買う
A.三月の時にもお話ししましたが、地方では、まだまだ
嫁方のご両親というのが一般的のようです。
ただ最近は、積極的に婿方のご両親が買われる方や、
ご両家のご両親、若夫婦でお見えになる方や、嫁方から
来ないからといってお見えになる婿方など多様化して
きているのかと思います。
どちらにしてもかわいい赤ちゃんのためなので、上手に
お話し合いをしていただければと思います。
その点では、若いご夫婦が、パイプ役になって頂くのが
一番よいのかと感じています。
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五月人形 Q&A NO6
五月人形 Q&A NO6
Q.五月人形 号数
A.人形は、頭の大きさが、大きさの目安、
鎧兜の場合は、鉢の大きさが目安になるかと思います。
実際には、メーカによって、しころ(糸縅、革縅で案である部分の大きさで、違って見えるので、飾りつけのために、どれだけのスペースを要するかでご判断 いただこのがよろしいかと思います。
単純に、号数の大小で、大きさが違うということでは、ないように思います。
また、価格の点ですが、同じ製品の大小でしたら、飾ることが確保できれば割安感は、あると思います。
上記は、小さくても、大きくてもさほど作業は、変わらず、材料費の違いとなってくるからです。
ご参考になればと思います。
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五月人形Q&ANO5
五月人形Q&ANO5
Q.五月人形 収納飾り
A.五月人形の収納飾りについて書いて見ます。
鎧兜の箱は、もともと鎧櫃などといって、箱に鎧を一式入れて、
背負って運ぶための箱でいわば収納箱であったという一面が
ありますので、飾るときに台座にしている櫃の大きさは、鎧でも兜と同じような収納箱の大きさとなります。
次に片付ける場合ですが、一つ一つの飾ものを小箱にしまうところの手間は、一緒です。
ご覧になるとお分かりになるように鎧櫃というものは、意外に小さいと思います。また屏風は、開くと大きな容積を感じとっても立派に見えますが、たたむと平たい薄い箱になります。
舞台台も薄い箱です。
私は、見ていて、収納飾りより、各箱の中に空間を持たずに
しまう飾り櫃の上に飾る飾り方のほうが、分散してしまうことも
できるので、良いように思います。
しまいなくしてしまうほどの点数の外箱には、なりませんので。
それを装飾した木箱に収めてボール箱に入れるのか、そのまま
梱包されてきたボール箱で保管していくのかの違いです。
飾りとしては、昔からの櫃の上に兜をのせて飾ったほうが落ち
着いて立派に見えるのは、私だけでしょうか?
伝統工芸品としてのお雛様について、少し話をしました。
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