佐野短期大学で、講義をする時間を頂いたので、お雛様の話をしてきました。
若い学生さんたち良く話を聞いてくれていたと思います。
感想文もいただきましたが、学校側から非公開の指示がありましたので、
公表できないのが残念ですが、将来どんな形かで、お話を広めてくれたらと期待します。
佐野短期大学で、講義をする時間を頂いたので、お雛様の話をしてきました。
若い学生さんたち良く話を聞いてくれていたと思います。
感想文もいただきましたが、学校側から非公開の指示がありましたので、
公表できないのが残念ですが、将来どんな形かで、お話を広めてくれたらと期待します。
お雛様は、赤ちゃんの身代わりですから、一年一年の赤ちゃんに纏わり付く好くないものを撫でモノとも言いますが、触ることで、移し替わ
ってもらいます。そのため一念一念赤ちゃんは、すくすくと成長できるようにとお願いしているおまつりです。
もうひとつ、お雛祭りの中には、予祝という考え方があります。
これは、幸せは、急に来てくれるものではなく、先にお祝いを重ね準備をして、初めて手に入れられるものだという考え方です。
そして、お雛様を、しあわせにすることが赤ちゃんの幸せにつながると考えあられています。
そのため、雛飾りは、おひなさまを幸せにするためのお願いを飾ります。
だから、赤ちゃんの一年一年の無事成長と、将来の幸せを実現すべく雛飾りに託し、毎年神様にお願いするお祭りを重ねているのです。
もちろん、お雛さまを、毎年出していただかないとお雛さまがかわいそうだというのも、大事な感覚で、せっかく祖父母や、ご自身達で、
用意して頂いたお雛様をその子の身代わりとして大切に飾っていただきたいと思います。
3月3にやれば、良いわけですが、現代の生活様式の中では、人も集めにくいと思います。
お祝い事は、期日より早くというのが一般的かと思いますので、休日などを利用してお祝いの席を考えていただいたらよいと思います。
昔の暦と今のカレンダー季節感に対するずれを考えるとむしろ、いつ行うかより、思いを込めて行うことが重要と考えます。
全国的におひな祭りは、毎年行われています。
該当者がご自分たちで、やるかやらないかという事になるのかと思いますが、
新生児がお生まれになって初節句を行う、赤ちゃんが大きくなってお母さんになってそのお子さんのために初節句をやって頂く、こんな繰り返しの中雛まつりは、行われております。
お母さんのお雛さまと赤ちゃんのお雛さまと一緒に飾る事は、理想ですし、それにお祖母さんのお雛様など一緒に飾れたら、すばらしいと思います。
ただ現実としては、保管しきれない、飾る場所が用意できないなど問題があるようです。
お内裏様と並ぶ対雛の願いは、幸せな結婚です。
そこで、この期を機会に供養されるなどという方法はあると思います。
許されるなら、お母さんのお雛様の一部だけでも残して飾って頂けたらとは、思いますが・・
最近耳にするのが、お母さんのお雛さまがあるのでそれを使おうと思うが、どうかという質問です。
お母さんは、幸せに結婚して赤ちゃんに恵まれました。その幸せを引き継いでいきたいという理論のようですが、先ずお雛まつりについて申し上げます。
本来,
お雛さまは、赤ちゃんの身代わりとなって赤ちゃんにまとわりつくに良くない事を代わって受ける器のような役割の人形です。
赤ちゃんがお雛さまに触る事で、厄災を移して、封じ込めてもらうの形代の意味です。
皆さんが子供のころ汚いものを触ったり踏みつけてしまった時、友達にタッチする事で、「自分は、きれいですよ」という悪ふざけをやられた経験があるかと思います。
別段誰かに教えてもらってそのようなことをしたのでは、ないと思います。
日本人の中にある不思議な感覚ですが、いかがでしょうか?
いわば、赤ちゃんの代わりに汚される事で赤ちゃんを清浄に育っていってもらおうとするのがお雛様です。
だから私のお雛様なのです。汚れをしまっておく器は、自分の物としてあまり人に貸さないのが日本的ではないでしょうか?
もう一つ申し上げると、お雛さまを毎年かざって頂いているわけですが、そこには、予祝という考え方がありまして、毎年お祝いを重ねて行く事でやっと幸せは来るものだと信じられてきました。
そこで毎年お祝いの折、幸せを願う形として雛飾りが表現され発展してきました。
たとえば、お内裏様は、お雛様のお婿さん、お雛さまは、赤ちゃんの代わり(分身)ですから、赤ちゃんとお内裏様は、赤い糸で結ばれた人、結婚して子供を授かれば、赤ちゃんが誕生した時に願っていた、幸せがやっと来た瞬間であり、お雛さまがお母さんにお内裏様がお父さんになった瞬間ともいえましょう。日本的な考え方では、他の人に貸さないのが普通なのかと思います。
宗教では、ありませんので、こうしなければいけないという事は、申し上げません。ただ我々が祖先から引き継いできた考え方や感覚の中に、「私のお雛様」は、他人に貸すようなものではないと、言われているように思えます。
結婚したからといってお雛様の役割が変わるわけでは、ないのですが、一つの区切り、整理する機会となる事は、止む得ないでしょうか?
新居は、借り住まいで狭くて飾れない、その上赤ちゃんが生まれたらお母さんのを飾っておくスペースは、とれないなど、仕方ないのですが、
ただ、祖父母の思いのたくさん詰まったお雛人形、お二人だけでも残して、飾って頂きたいと思います。
雛人形の元々は、お祓いの具ですから、いつまでという事は、ありません、一生お付き合い頂きたい品物です。
ですが住宅事情など飾りつづけることが困難になる場合、雛祭りのもう一つの意味,
雛飾としては、無事成長と幸せな結婚が強くお願いされています。この祖父母から赤ちゃんへの思いを願いを一区切り達成されたと見るのが結婚式なのかと考えます。
ですから、ご結婚を期に供養される事も仕方ないのかと考えます。
この日、結婚式でお客様にお披露目などというのも良いのでは、ないでしょうか?
祖父母の有難い思い普段は、人様に見て頂く機会もありませんので、
お雛様の処分については、皆さん普通の物とは、違うのでゴミに出せないとおっしゃいます。
お子さんの厄災を代ってもらったお人形の処分ですから、魂抜きをしてから処分する人形供養
が一般的です。
お住まいの地域の人形店や、人形業界の各団体にお問い合わせいただくのが良いかと存じます。
ちなみに佐野人形協会では、
10月第2日曜日を人形感謝祭として唐澤山神社三の丸にて行っております。
時間は、9:00~11:00の間が受付11:00から供養式を行います。護摩木にてお焚き上げをした後お人形を処理いたします。
当日の受付時間も短いものですから、事前受付を行っております。
当店でも、営業日でしたら、お預かりしておいて、代理にて供養いたします。
佐野人形協会規定により
供養料5000円(数には、関係ありません)
護摩木に供養者のお名前をいただき品物と一緒にお預かりし護摩木の焚き上げによって
神職の祈祷を受け供養していただく方法をとっております。
付属のケースやお道具などは、お預かりできません
こけしやぬいぐるみなど他民芸品などは、受け付けておりません。
お雛様の保管で気を付けたい事
1、お顔は傷つきやすいので柔らかい紙で包んでください。
2.一年間箱の中である程度密封される状態かと思います。乾燥させてからおしまいになるようお願いします。
3.湿度の低い所に保管ください。
4.衣裳の振りが崩れたりしないように空間をとってお仕舞い頂きたい。
5.以上の4点を気をつけて頂けば、そんなに簡単に壊れるものでは、ありませんので、安心してお取り扱いください。
6.もしトラブルが起きたら、買ったお店に修理等ご依頼いただくと良いと思います。一般に修理では、低料金で行ってくれると思います。
7.そういう対応については、お買い求めの際ご確認ください。
いつ出したらよいかについて、いろいろなことを言う方がいますが、明治の改暦で暦という文化に沿っての行事としては、ずれているのが現状だと思います。
たとえば、雨水の日に飾ってという意見、今のカレンダーにあてがわれた24節気の日頃感としては、良いと思うのですが、昔から雨水に雛飾りをするものだったと錯覚されるとまずいように思います。
一番無難に相違のない所としては、節分過ぎに飾るというのがよいと思います。
期間のぎりぎりを言えば、お祭りだから、節句の一週間ぐらいまでに飾ればよいという事のようですが、余り厳重にせず毎年出しでいただきたいと思います。
それと少し長めに飾っても楽しむ時間としてよいように思います。
しまうのは、できるだけ早くですが
おひな祭りは、お家の中で行う女児のための小さなお祭りです。
赤い毛氈を敷きその上に雛飾りを置きお供え物をして、神様に来てもらい赤ちゃんの無事成長と、将来の幸せを願う為の物です。
お雛さまは、赤ちゃんの身代わりになって、赤ちゃんの厄災をひきうけてくれるものですので、赤ちゃんに触らせて下さいそうする事で、おまじないですが赤ちゃんにまとわりついたものを代わってらいます。
もう一つ大事なのは、直らいの考え方です。
赤ちゃんに愛情の深い人たちで集まって食事会をしてあげて下さい。
おひな祭りのお祝は、お家の中に神様に来て頂いてお願い事をするための物神事には、直らいが付き物で、食事会を開いて頂く、集まって頂いた人たちには、食事をふるまい、引き物をお渡しする。
お祝いを頂いた人たちを、お招きし御馳走して、引き物をする。
これが初節句の基本形かと考えます。
現代のように親族の集まりでのお祝いでは、どこからが祝う側で、どこからが祝いを受ける側かの線引きも難しいと考えます。祖父母が孫のお祝いの準備をしてくれているわけで、両親が主導で、お祝いを行う場合、食事会の準備をして、お祝いの引き物をお渡しすれば、良いのでは、ないかと思います。
お祝いに呼べず、お祝いを頂いた方には、内祝いで、半返しが相場なのかと思います。
昔は、嫁ぐ側のお家で用意して頂くのが常識だったようです。
これは、長い間、農業国家だった日本そして戸主制をとっていた事によるのではないかと考えております。
本家や分家、新家など結婚をした息子たちに農地や家を分け与えるのが、当たり前に行われており、行って見れば、嫁がれる側がそれだけの大きな財産を用意してあげるのだから、赤ちゃんの誕生に関するお祝い事は、嫁ぐ側で用意します。という事だったように思います。また今のように自由に実家に帰る事などできにくい時代だったでしょうから、お祝い品を持って、尋ねる事で、一人嫁いで行った娘を気遣う機会だったとも思われます。
現代では、各家族化が進み嫁ぐという意識も薄くなっていると思いますし、一方が大きな財政支援をしているとも限りません。
慣習を大事に考えるのも一つのやり方だと思いますし、現代にあった方法で行うののもよいかと思います。
誰が買うのか
まだまだ、嫁いだ側のご両親というケースが多いように思います。
嫁がれた側のご両親が自分の気に入った物を購入したいというケースもございます。
最近は、ご両家で折半などというケースもございます。
中には、親代わりの叔父叔母などというケースもあります。
一般には、赤ちゃんの祖父母や両親という事になると思います。赤ちゃんに愛情を注ぐ皆さんでご相談され、納得が行く形で買って頂ければと思います。
お雛さまは、赤ちゃんの身代わり赤ちゃんにまとわりついた厄災をお雛さまに代わってもらおうという考え方が一つ。
もともと平安時代よりのお祓いの文化
もう一つは、赤ちゃんの身代わりであるお雛が幸せである状態に飾る事で、将来赤ちゃんがそのような幸せに恵まれるという考え方が一つ。
室町から江戸時代になって赤ちゃんの幸せを願う節句文化
この二つの考え方が、毎年おひな祭りをしてきた理由
平たく言えば、赤ちゃんの無事成長と将来の幸せを願うから行われているという事だと言えます。
赤という色には、魔よけの意味があると言われております。神社仏閣でも赤い色をした柱などご覧になったことがあると思います。
雛まつりは、節句の行事の一つですから、お家の中にお供え物をして神様に来てもらいお願い事をするというのが、大前提で、行われております。そこで神様に来てもらう神聖な場所をお家の中に作るため赤い敷物をしています。
七段飾りのひな壇を飾ったことはあるでしょうか。十五人の雛人形と、たくさんの道具や飾りものを見本なしに正しく並べるのは難しいかもしれません。
どうして女の子の節句は、ここまで豪華で複雑なのでしょう。
その答えの一つは、女の子が「命をつなぐ存在」だからと私は考えています。
ひな人形には、両親、祖父母の様々な願いが託されます。
健康に育って欲しい、幸せになってほしい、良い人と縁をもって結婚してほしい。
毎年くり返し祝うことで、赤ちゃんは人間として成長し、魂は整った状態になっていきます。
節句というのは、絶えず「命に関する願いをする」ことが中心にそえられているものですが、
中でも桃の節句は「新しい命を生む力がある」女の子のお祝いですから、より強く健康・成長・結婚への願いがこめられているのです。
お腹の中にいるとき、親子の体と魂はつながっているといいます。子どもは胎内で、祖先の穢れ、遠い原始の祖先たちの畏れと出遭い、そんな知らず知らずに受け継いできている穢れを祓い清めるという願いも、初節句には込められているのでしょう。
このように、節句というのは魂の健やかな成長も促します。健康や見た目のことだけではないのです。ですからひな祭りでも、女の子の「魂」や「情緒」と呼ばれるものの発育が促されるのです。
古来日本では、懐胎(妊娠)をはじまりに、いろいろな成長の通過儀礼が行われてきました。とくに人の誕生から一年目は魂の成長にとって大切な時期なので、儀礼も厳格に行われます。
七つ前は”神の子”といわれるのは、まだ魂が未熟で変化しやすいというのを意味するのかもしれません。
今はお母さんのお腹から出てきたら「誕生した」と言いますが、以前の日本では胎内にいる時点で命を授かった、つまり生まれたと考えました。そのため赤ちゃんの受胎があると、5ヶ月目の戌の日を選んでお腹に腹帯を巻いてお祝いしました。「帯祝い」と呼ばれるものです。
成長の通過儀礼は誕生(胎内)からはじまり、幼児期を経て、男女に分かれて成人するまで行われます。
昔は男子は5歳から9歳までの間に、女子は7歳の11月の吉日に、幼児期が終わる帯解きの祝いをしました。そこからは幼児としての扱いは終わります。難しい知識を正しく吸収でき、反応できる「社会人」としての仲間入り(氏子入り)の人格が、もうできあがったと見なされるのです。
儀礼のたびに、子どもは自分が少しずつ大人になっていくことを自覚し、やがて成人の式が済むまでには、肉体も生霊も完成されて一人の大人となります。
今のような”キレる子”というのは考えられず、10歳前後でも情緒も安定した人間として扱われました。
お雛さまの人形の中にも、心の成長段階が表現されています。成長を促す童子の顔・格好をした五人囃子や、若手(泣)・中堅(怒)・老人(笑)の3人が並ぶ仕丁。
これらの人形の意味は、大人になってやっと実感できるもの多いかもしれません。ですが、ものを大切にして毎年きちんと並べながら、お雛様に込められた願いを少しずつ教えてあげてください。そういった一つ一つが、お子様の情緒を育ててくれることと思います。
ひな壇は、昔の宮中の結婚式の様子を元にしています。この婚礼が、夜に行われているのはご存知でしょうか。
古法に従った結婚式は、亥の刻限(午後9~11時ごろ)、亥の月・神無月(旧暦10月ごろ)に行われました。華やかな結婚式のことを祝って言う「華燭の典(かいしょくのてん)」の言葉の由来も、夜に雪洞(ぼんぼり)に明かりを灯し祝った結婚式から来ています。
江戸時代の「女御々入内記」の中に、二代将軍秀忠の娘、東福門院和子のお嫁入りの様子が書かれています。
和子は女御として元和六年(1620年)に入内(じゅだい)しました。婚礼の儀が行われた日、午の刻(午前11時~午後1時)に二条城を出発した和子の牛車は、一刻ほどの時間をかけてすすみ、御所郁芳門から新造された女御御殿には未の刻(午後1時~3時)に到着しました。そこで休むこと数刻(数時間)。亥刻(午後9時~11時)清涼殿に赴き、後水尾天皇と初めて対面し、そのまま常御殿に渡り、三献の儀式が行われています。
昔の結婚式が時間を考えて行われたのは、陰陽の考え方から来ています。「陰の女性」が「陽の男性」により良い形で嫁ぐことができるように、陰の時間である夜にいく。
その古来のよく考えられた方法で、ひな壇の結婚式も執り行われているのです。そこには「良い人と結婚ができますように」という願いが込められています。
結婚式というのは、たんに男女が結ばれるだけのお祝いではなく、次の世代の誕生を祈り、促すための意味もこめられています。
その昔、日本での原始信仰では、人は誕生する時、肉体と共に霊魂を具えてくると考えました。人は肉体だけでは生きられず、活動するには魂が不可欠とされていたのです。
婚礼の儀によって男女の霊魂が結ばれると次の生命が生まれ、死によって魂が肉体から抜け出すと信じられていました。
そうすると、ひな壇の結婚式というのは良縁の願いに加え、「次の世代に恵まれますように」という祈りも込められていると言えます。
ひな壇の中には、日本創生神話にある伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の男女の神にまつわる品々や儀式がこめられています。
例えば三人官女は、婚礼の儀の進行役です。左右の女性は巫女姿で神酒を注ぎ、中央の女性は婚礼の儀の司会進行を務め、祝詞の口上を述べます。
現代の結婚式は「男女の愛を誓う」という形が多いようですが、もともと神社で行われている婚礼の儀の様式は、生命(子ども)の誕生にまつわる神様に祈るものなのです。
結婚式の形をとっている初節句には、すでに次の次の世代の誕生をも願う心がこめられているのです。
お雛段に雪洞が付いているのは、なぜかという疑問もよく聞きます。
昔の結婚式は、夕方お嫁さんを迎え入れ結婚式が始まるわけですが、
式三献(三三九度)行われたのは、夜の亥の刻(現在の11時ぐらい)になったようで、
灯がないと結婚式はできませんでした。そのため雪洞を(燭台)とセットしています。
7段飾りの一番上には、6曲の金屏風が一双ここから始めます。
6曲が2枚で一双といいます。6×2は、12これで12カ月を表します。
この屏風の前に人が特にカップルが、並んで座ると結婚した姿をあらわします。
向かい合っているとお見合いです。
さてこのカップルお雛さまが赤ちゃんの分身ですから、十二単を着た女性は、赤ちゃんの将来の姿。男性は、直衣束帯を着た身分高い男性、(いわゆる三国一の花婿)なのです。
北半球では、北極星が動かない星で、天帝といわれる存在です。そしてその力を後ろ盾に
人間界の為政者が、天子を名乗り民衆を統治してきました。
ですから、天子は、北を背にして、南面を向って、治めるわけです。
そうした時、左手が東、右手が西になります。日の出の東、日の入りの西、これが一日一年という考え方で、一日の拡大版が一年という考え方をした昔の人は、冬至から夏至の日照が長くなる半年間と夏至から冬至の日照が短くなる半年間にわけます。
そうすると二枚の屏風の中央の継ぎ目が夏至となり向かって右側が春夏の陽(日照時間が長くなっていく)の時間、向かって左側が、秋冬の陰(日照時間が短くなっていく)の時間となります。
宮中には、陰陽師で有名になりましたが、陰陽学がありました。
ものごと陰と陽のバランスで考えていく学問なのだと思いますが、そうすると左が陽右が陰になります。
屏風も左から日が昇ってゆく伸びてゆく半年間。右が沈んでいく短くなっていく半年間となるわけです。だからその前に配されるお雛様が陰で右、お内裏様が陽で、左になるわけで、これが、伝統的な考え方です。
先ず申し上げなければいけないのは、七段十五人飾りが、ひな飾りの完成系の造形美であること。
平安の禊、祓いの文化より発し、様々な時代の変化をへて数も大きさも増えたり減ったりしながら集約し、女児の一生の幸せを願い盛り込んだひな飾りであります。
祖先たちが、宮中にあこがれ垣間見た世界をひな飾りに取り入れると( 由らしむべし知らしむべからず)、為政者の思想や、学問が裏付けされていることに気が付く、調度品の意味、人形頭の並び方等々、なぜどうしてのことが多い。
七段十五人飾りを説明する事が、ひな飾りの意味と、ひな祭りの意味に近づけるように思う。
先ず、そんなはずはありませんが、昔の人たちは、神様を敬っていましたから、
自分の家にお願い事をするために呼び出して、いつまでも引き留めておくことは、失礼なことだと考えたようです。
そこで、言ってみればお雛飾りは、祭壇みたいなもので、早くしまわないと帰れないと考えたようです。
同様の言葉で、褻の日晴れの日というのがあります。お祭りの日(晴れの日)と、普段の日(褻の日)を区別しなさい(けじめを大切にしなさい)。
そこで、娘さんにそういう事を教え聞かせないで(見本を見せないで)育てると、「お嫁に行っても立派ななお母さんになれない子になってしまうよ」、という話を、誰かが嫁に行き遅れるとか行けないなど言う言葉に置き換え、戒めたようです。
贈りものについて考える時、社会変化を感じます。
品物が行ったり来たり、またお包みのお返しだったり様々な形で贈りもののやり取りがなされてきました。
昔は、贈りものの値段が正確に伝わるようにという贈り物は、しなかったように思う。
半返しなどという言葉もあって、標準的には、いただいたものに対しての目安は、あったと思うが、金額がわかるという部分は、日本的では、なかったように思う。
カタログによっての贈答が商業化し、何事にも利便優先で、相手のために何がいいか考える時間の労力や相手の家まで訪問する労力を省くためにできた産物だからカタログを送って、貴方からもらった物に対してのお返しは、こういう金額だからその中で選んでくださいということになった。
その方が、好きなものを選んで頂けるからという理論で、贈る。
お返し程度の金額で、カタログの中にほしいものなど入っているわけないように思う。
本当は、どんな物でもいくらかもわからないが本人が送ってくれたら方がありがたい気がするのは、少数派でしょうか?
本論のお雛さまを送ることについて、書きます。
お雛さまは、赤ちゃんを口実にした、両家が行き来するための大事なやり取りの一つだったように思います。
昔は、嫁ぎ先の敷居は高く、理由がなければなかなか嫁いだ愛娘に会えない。
また、嫁ぎ先の舅姑を敬うよう教育されていたので、娘の立場を思いやり自分たちも様子を見に行くための贈答の一つだったようにも思う。
そこで、さまざまな行事を用意して、娘さんの不安を気使い贈りものを携えて訪問する機会だったのかなとも思う。
よく嫁方からいろいろなお祝い事の贈り物がなされてきたわけですが、(そのことについてなぜというご質問も多いようですが)実は、そこに娘を思いやるご両親の深い愛情があったのではないかと感じます。
私がこの仕事について、配達業務を行っていた頃ですから30年くらい前にありますが、お届けにあがるといろいろなご家庭がありまして、お届け先のお宅で、さまざまなご説明をして、お客様の気持ちがうまく伝わるようにと苦労したのを思い出します。
現代のように女性がはっきりとものが言える時代、特段、嫁ぐという意識のない時代(もちろんそうでないという方もたくさんおられるとは思いますが)、に於いては、赤ちゃんに対する思い(お祝)という意味に絞られた贈りものなるわけで、どなたがどのように組んで贈られても、よろしいのかと思います。
もちろん昔からのしきたりに準じて、贈答をやられることも日本的ですばらしい秘めた愛情の表現方法だと思います。
でも秘められたもの誰かが伝えてくれないと、なくなってしまうように思う昨今です。奥ゆかしいお祖父さんお祖母さん少し沈黙は金だけでなく、ご自身の思いやごじしんのちs説明をお話をしてあげてください。