【五月人形】買い取りについて。端午の節句

【五月人形】買い取りについて。端午の節句

五月人形(鎧兜)の買い取りなどという話が出てきているようですが、

端午の節供は節句の言葉が入っている通りで、信仰ではありますが神様にお願いをする儀式

であるということです。

そのために用意している品物は、【あがもの】 ともいえる、祓(はらえ)の際に身のけがれや罪を

代わりに負わせて川などに流す装身具調度品。という意味があります。

方法としてですが、形代かたしろ)は、【撫で物】として、禊(みそぎ)や祈禱(きとう)などのと

き,からだをなでて穢(けがれ)や災い移し身代わりとして川に流したりする人形ひとがた

や衣。に類するものです。

これを他に転売したりする事はあり得ないことです。

本来お雛様の役割は新生児の身代わりになって厄災を受け穢されていくものです。

知らない人の見えない厄災等ただでもいらないという人が一般的な考えだと思います。

処分についてですが、大切な赤ちゃんの身代わりを果たしてくれたお雛様です。

できればずっとその方の分身としてお父さんになっても息子さんの物と並べて毎年かざりつづ

けて欲しいものですが、住宅事情その他諸々の理由がある場合、止む得ませんので、

各地で行われている人形供養を利用されるのがよろしいかと思います。

下記URLにても紹介されておりますので参考まで

当方でもお預かりいたしますが、

遠方の場合、(一社)日本人形協会で、行っているものです。郵送等のシステムが確立しており

ますので、ご利用ください。

http://www.ningyo-kyokai.or.jp/kuyou/images/kuyou13-14_autumn-winter.pdf

http://www.ningyo-kyokai.or.jp/kuyou/images/kuyou14-15_spring-summer.pdf

【五月人形】処分について。端午の節句

【五月人形】処分について。端午の節句

五月人形(鎧兜)の処分についてですが、

大切な赤ちゃんの身代わりを果たしてくれた五月人形(鎧兜)です。

できればずっとお子様の分身としてお父さんになっても息子さんの物と並べて毎年かざりつづ

けて欲しいものですが、住宅事情その他諸々の理由がある場合、止む得ませんので各地で行

われている人形供養を利用されるのがよろしいかと思います。

当社もお預かりできますが、持ち込みを基本としております。

遠方よりご覧頂いているお客様の場合下記URLにても紹介されておりますので参考まで

(一社)日本人形協会です。

http://www.ningyo-kyokai.or.jp/kuyou/images/kuyou13-14_autumn-winter.pdf

http://www.ningyo-kyokai.or.jp/kuyou/images/kuyou14-15_spring-summer.pdf

初節句の男の子へ【五月人形】誰が買うのか 

初節句の男の子へ【五月人形】誰が買うのか 

五月人形を購入する時…

 

最近どちらのお家で、孫の節句の品ものを買うのかお婿さん側のご両親が見えて、ご相談されることが増えました。

あちらからお祝が届かないようなのですが、どうしたらよいかという事。

この問題の原点は、お嫁さん側のご両親が送られるのが慣習となってきたからです。

そのことについて、ご両家の見解がちがい男の子の時は婿方、女の子の場合は嫁方、たとえば、どちらがやっても良い風習がないのだろうか、

金銭的に負担である…など、気まずくなりたくはないし一体どうしたものかと。

最近は、遠方同士でのご結婚も増えお互いの地域の風習もわからないので、

善意でお付き合いしようと相談に見えるわけで、男性側で買ってあげたら出過ぎかとか、

自分では、外孫の祝いは、ちゃんとしてきたのにとか、それぞれ様々であります。

 

 

民間のしきたりについては、口伝がほとんどで各家族社会になったため伝わらなくなったことも多いと思いますが、

私が母から聞いてきた話を基に考えると、農耕社会であった日本は、本家、分家、新家、などと言って、

婿側の親が、自分の息子たちに土地や建物を分配する慣習がありました。

それに比較して、節句やその他こまごまとしたお祝い事は、お嫁さん側から持っていくというのが習わしで、

その機会でないと中々娘や孫に会えない風潮もあったように思います。

それが社会の変化により各世帯が、若夫婦自身で、土地や家を用意していく時代になっています。

 

 

昔合理的だった風習も時代の変化により不合理な点も出てきます。

現代の社会で考える時何が正しいかは言えませんが。

お孫さんの誕生に際してご両家ご夫婦が、円満に贈り物のやり取りをする事。

そしてその贈り物が赤ちゃんにとって一生の宝ものであってほしいと思います。

そのためには、ご夫婦ご両家で、赤ちゃんの贈り物について、上手な話し合いができると良いと思います。

 

 

【五月人形】なぜ、兜、甲冑を飾るのでしょうか?

【五月人形】なぜ、兜、甲冑を飾るのでしょうか?

五月人形で選ばれる兜、甲冑の背景

 

五月人形という言葉が含んでいるものが結構あるのでまずそれらを列挙します。

 

 

武者人形、鎧兜、兜、武者絵幟、鯉のぼり、などです。

 

 

武者人形、鎧兜、兜などの飾りは、お雛さまと一緒で人がたを意味しています。

 

撫で物の考え方で飾っているので、お子様にさわって欲しいと思います。

 

お子様が触ることで一年分の厄災をひとがたに移し、

箱にしまう事で封じこめて下さいとお願いをするお祭りをやって頂いているわけです。

 

そのためにヨモギ色の毛氈を敷き結界を作りそこに飾りものをして、

神様をお迎えしお供え物をしてお願い事をする。

 

これが端午の節供のお祭りです。

 

武者幟や鯉のぼりの飾りはひらひらとした旗や大きな旗は、

 

神様への寄り代であり目印であります。

 

それから鯉のぼりは登竜門伝説のごとく、

 

お子様の将来の活躍を願った物武者幟の武者絵も昔の強い武将の絵を描くことでこれにあやかり、

 

強くたくましい人になって欲しいという願いの表現です。

 

 

昔の人たちは、願いを形にして置くことで神様にお願いをしていることになると考えたのだと思います。

 

こういった思いを新生児に向け、願い祈ったことが端午の節句をずっとつづけてきた先人たちの思いだったのかと思います。

【五月人形】新製品の鍾馗について

【五月人形】新製品の鍾馗について

五月人形出し飾り用 鍾馗
P1040545-7
昔、武家社会の中で、鎧とは魂を宿し人間の身代わりとして考える習慣がありました。そこで、鎧に陰膳(出征その他に出た不在者のために、その者が旅行中に飢えたり、危害を加えられ安全を脅かされたりしないように祈り願って、留守番がその者のために留守宅で供える膳である。)を供え無事を願いました。
今日端午に節句に於いて、鎧兜を飾るのは、人間の身代わりという考え方を持ち込んだもので、鎧兜は、男子の形代(かたしろ)として飾って頂くわけで、ひな人形同様に、撫で物(触ることで、形代に厄災を移す。)として、そして箱にしまうことで封じ込めて下さいと願うお祭りと考えてよいと思います。
そこで、男児の身代わりとなる鎧を鍾馗様に守ってもらおうと考えました。そのため、仁王さま同様、阿吽(あうん)の顔としました。口を開いた阿行形の表情の鍾馗に、赤い衣裳、赤い髭の陽の鍾馗を鎧の左前に配置し、口を結んだ吽行形の表情の鍾馗に黒い衣装黒い髭の陰の鍾馗を鎧の左前に配置して、鎧兜(お子様)に良くない事は、受け付けませんという構えにしました。

鍾馗とは何かについて
P1040545-6
一般に知られているのは、黒い鐘馗かと思いますが、
赤鍾馗は、朱書きの鍾馗として、疱瘡よけや、旅の護り札、として盛んに用いられた時代がありました。
鍾馗は、関東では五月人形や武者絵幟、関西では屋根や軒上の瓦を連想する。時代を超えて強い男、邪悪を制する正義漢として伝えられてきました。
その発祥の伝説は、唐の玄宗皇帝の時代とされ千二百年余以前である。唐逸史の中に玄宗皇帝が、熱病に罹った時夢の中に小鬼が現れ、楊貴妃の香袋と笛を盗んで行こうとしたのを叱責すると虚耗と名乗った。帝が聞かぬ名だと言うと「虚」は、人の物を盗んで悪さを、「耗」は人の喜びを減じ憂と化すと答えたので帝は、怒って衛仕呼ぼうとした。するとそこへ、破帽をかぶり、藍の袍をまとい、角帯に朝靴をはいた大鬼が現れて、小鬼を退治してしまった。帝が何人(なんびと)かと問うと「私は、終南山の進士鍾馗也、武徳年中に科挙の試験に応じたが落第したので、国に帰るのを羞、宮殿の階段に我が身を打ちつけて自殺したが、このとき帝より緑袍を賜わり、手厚く葬られたので、その恩に感じ、今日天下の虚耗を駆除するために現れた。」と言った。その言葉が終ると同時に帝は、夢から醒めるとともに、病が癒っていることに気が付いた。帝は、早速お抱え絵師の呉道子を呼び、夢の中の光景を話し描かせたが、全く夢の中の人物と同じだったので百金を下賜されたと書かれている。この絵がもとで、鍾馗の姿は、日本にも伝わり今日の鍾馗の人形もあります。
それから、中国の官吏試験の厳しさは、昔から有名だしこれに失敗して世をはかなんだり、人々を恨んだりという事が多かったことは、歴史が物語っています。
鍾馗は、受験地獄の待つ世の中に生まれてくる子供達にとって、受験の大事な守護神となってくれると考えます。

【五月人形】の飾り方・しまい方

【五月人形】の飾り方・しまい方

五月人形についての端午の節句の祝い方

 

「端午の節句」は「尚武の節句」とも言われ、

 

男の子がたくましく立派に成長し将来の受験や就職、結婚などがうまくいき、

 

人生の幸福に恵まれるようにという気持ちを託して五月人形を飾ります。

 

 

 

 

鎧兜などの五月人形は、贈られた赤ちゃんの代わりとなって厄災をひきうけてくれる、

 

贖物(あがもの)や撫物(なでもの)の役割をもっています。

 

屋内に飾られた人形の前で、誕生した男の子に思いの深い人たちが集まり、

 

食事会をするなどしてお祝いをします。

 

 

 

飾る期間と収納について

 

五月人形(鎧、兜)は一般的に3月下旬~4月中旬くらいに、

 

遅くても4月29日までには飾りはじめ、こどもの日を過ぎたころにしまうとよいでしょう。

 

収納するときは鎧兜が湿気にさらされないよう、

 

カラッと晴れた日を選んでください。

 

天気が悪い日は湿気が多いのでカビの原因となるおそれがあります。

 

柔らかい布や羽根のはたきでホコリを優しく払いましょう。

 

素手で触ると手の脂がつくので手袋をするとよいでしょう。

 

 

小物は柔らかめの紙やティッシュペーパーで包んで、

 

はじめに箱に入っていた状態にもどします。

 

 

飾るときに箱の写真を撮っておくとスムーズです。

 

 

箱の空いた隙間には紙を丸めてふわっと詰め、

 

箱を動かしたときに壊れないようにします。

 

 

防虫剤は人形用のものを少なめに、一種類だけを使用します。

 

 

収納場所は湿気が少なく日が当たらない、押入れの上段やタンスの上がおすすめです。

初節句 男の子 (端午の節句)の由来は?

初節句 男の子 (端午の節句)の由来は?

初節句 男の子へ由来のお話

 

端午の端は、5月に限らず月の端(はじめ)の午(うま)の日の行事でした。

 

やがて端午の節句は、午(うま)の月である5月の午(ご)と音が同じ五の日、

つまり5月5日に定着していきました。

 

 

 

この端午の節句の歴史は、古代中国における季節の変わり目の厄払いからはじまり、

 

日本でも奈良時代以前には5月5日に薬草を摘み、災厄をはらう風習が生まれました。

 

特にサトイモ科の菖蒲(しょうぶ)は剣のような葉の形と強い根の香りが邪気を祓うとされ、

 

さらにその「菖蒲」の音が「勝負」または武を重んじる「尚武」に通じることから、

 

「端午の節句」は「尚武の節句」として、武士の間で年中行事となっていきました。

 

 

 

江戸時代になると武家では5月5日に男の子の誕生を祝い、

 

武士の精神的な象徴である鎧兜や幟旗などを飾って、

 

その子の健やかな成長と家の繁栄を祈りました。

 

 

やがて民間でもこれをまねて大きな作り物の兜や武者人形、

 

紙の幟旗(のぼりばた)などを飾るようになりました。

 

 

これらの飾り物は当初、天の神様の目印となるように屋外に飾っていましたが、

 

江戸時代中期以降、幟旗以外は小型化したものを屋内に飾るようになりました。

 

端午の節句とは

端午の節句とは

五月人形(鎧兜)を飾る5月5日の端午の節句には、

 

生まれたばかりの赤ちゃんを守ってくれる武者人形や鎧兜を飾りお供え物をして願い事をします。

 

 

「健やかに育ち、将来、立派な人間になるように」と。

 

 

鎧兜は身を守る大切な道具であり、日本伝統の武士道精神を象徴する宝物。

 

 

また英雄豪傑をかたどった武者人形は男の子の成長を見守ってくれる、その子の守り神のような存在です。

 

そして空を泳ぐ鯉のぼりには、たくましくどんな荒波をも乗り越え、人生の成功を願う気持ちがこめられています。

 

 

 

だからこそ、一人一人に贈るのがよいでしょう。