一から九までの数が、縦横斜め何れからもその和を十五にする魔方陣は、自然界の生命エネルギーの運行作用を示す洛書の図であることは以前にふれた。九つの数はそれぞれに色彩名が割り当てられ、人の星ともされて九星と呼ばれる。目には見えぬ時間や空間、つまり季節や年月時刻、そして中心や各方を陰と陽二元の原理に基づいてその数を配分し、各々の数に天地間の現象を置き換え、綿密な天文観祭を経てその一つ一つに象意が見出されている。これが洛書に示されて八卦と呼ばれる。「乾は天なり故に父とす」「坤は地なり故に母とす」というように、八卦は人間関係に置きかえ、さらに「乾坤に六子あり」Lして三男三女がそれぞれ位置され、少男つまり童児は洛書九星図の八白に象徴されている。
九星のそれぞれに、さらに十二支が配当され、八白の位置は、丑寅うしとら方角で北東、時刻の丑寅はおよそ午前一時から三時、年前三時から五時をさし、丑の月は旧暦の十二月、寅の月は旧暦の正月をさす。季節に当てると、丑は冬の強い寒気であり、寅は春への移行の時に当たり、八白には変化宮つまり陰極まって陽に転ずる進展の象意を見ることができる。
さて、十二支は本来植物の発生・繁茂そして伏蔵という循環の様子を示したもので、植物が種から始まって実を結び、新しい種を宿す状態を表わす。子は完了と一はじめを意味する種子の状態、丑は種子内で紐状に変化する様子、寅はうご(虫へんに寅)めくで地上への発芽の時とされる。
一日の時間の流れの中では、草木も眠る丑満どき夜の闇が極まって暁に変わる刻限が寅の刻、人間の一生に見立てると母の胎内の暗黒から分娩があり生命の誕生。そして心身ともにめざましい発育を見るこの時期は童児の姿に象徴され、陰の極まりから陽への進展を司る姿として位置づけられている。
十五人の揃雛の中で五人囃子にのみ童児形が用意されたのは、八白の象意によるものといえる。初節句には生命誕生の謳歌、成人ヘの予祝、女児の心身の新生成長進展を節句ごとにはやす。そうした役割にかくされた理は八白童男の象意であり、明治の改暦以前千余年にわたって我が国の人々の生活の隅々まで浸透した十干十二支九星など、陰陽思想の哲理だともいえる。
いろいろな祭によせる人々の心は、その祭の行事のあり方もさることながら、祭にかくされた理でもある。理を求めずしてひなまつりの本来は、やがて失われるときが待っていよう。
完成された形のひなづくりによせた何代にもわたる先輩たちの苦心や智恵は今でも生きている。現在その仕事にたずさわる私たちが、単なる商品と同様の製販にあたるのは、祭具としての雛本来の伝統の崩壊につながる危倶の念にかられてならない。
「にんぎょう日本」1993年2月号掲載