贈りものについて考える時、社会変化を感じます。
品物が行ったり来たり、またお包みのお返しだったり様々な形で贈りもののやり取りがなされてきました。
昔は、贈りものの値段が正確に伝わるようにという贈り物は、しなかったように思う。
半返しなどという言葉もあって、標準的には、いただいたものに対しての目安は、あったと思うが、金額がわかるという部分は、日本的では、なかったように思う。
カタログによっての贈答が商業化し、何事にも利便優先で、相手のために何がいいか考える時間の労力や相手の家まで訪問する労力を省くためにできた産物だからカタログを送って、貴方からもらった物に対してのお返しは、こういう金額だからその中で選んでくださいということになった。
その方が、好きなものを選んで頂けるからという理論で、贈る。
お返し程度の金額で、カタログの中にほしいものなど入っているわけないように思う。
本当は、どんな物でもいくらかもわからないが本人が送ってくれたら方がありがたい気がするのは、少数派でしょうか?
本論のお雛さまを送ることについて、書きます。
お雛さまは、赤ちゃんを口実にした、両家が行き来するための大事なやり取りの一つだったように思います。
昔は、嫁ぎ先の敷居は高く、理由がなければなかなか嫁いだ愛娘に会えない。
また、嫁ぎ先の舅姑を敬うよう教育されていたので、娘の立場を思いやり自分たちも様子を見に行くための贈答の一つだったようにも思う。
そこで、さまざまな行事を用意して、娘さんの不安を気使い贈りものを携えて訪問する機会だったのかなとも思う。
よく嫁方からいろいろなお祝い事の贈り物がなされてきたわけですが、(そのことについてなぜというご質問も多いようですが)実は、そこに娘を思いやるご両親の深い愛情があったのではないかと感じます。
私がこの仕事について、配達業務を行っていた頃ですから30年くらい前にありますが、お届けにあがるといろいろなご家庭がありまして、お届け先のお宅で、さまざまなご説明をして、お客様の気持ちがうまく伝わるようにと苦労したのを思い出します。
現代のように女性がはっきりとものが言える時代、特段、嫁ぐという意識のない時代(もちろんそうでないという方もたくさんおられるとは思いますが)、に於いては、赤ちゃんに対する思い(お祝)という意味に絞られた贈りものなるわけで、どなたがどのように組んで贈られても、よろしいのかと思います。
もちろん昔からのしきたりに準じて、贈答をやられることも日本的ですばらしい秘めた愛情の表現方法だと思います。
でも秘められたもの誰かが伝えてくれないと、なくなってしまうように思う昨今です。奥ゆかしいお祖父さんお祖母さん少し沈黙は金だけでなく、ご自身の思いやごじしんのちs説明をお話をしてあげてください。