ひな壇は、昔の宮中の結婚式の様子を元にしています。この婚礼が、夜に行われているのはご存知でしょうか。
古法に従った結婚式は、亥の刻限(午後9~11時ごろ)、亥の月・神無月(旧暦10月ごろ)に行われました。華やかな結婚式のことを祝って言う「華燭の典(かいしょくのてん)」の言葉の由来も、夜に雪洞(ぼんぼり)に明かりを灯し祝った結婚式から来ています。
江戸時代の「女御々入内記」の中に、二代将軍秀忠の娘、東福門院和子のお嫁入りの様子が書かれています。
和子は女御として元和六年(1620年)に入内(じゅだい)しました。婚礼の儀が行われた日、午の刻(午前11時~午後1時)に二条城を出発した和子の牛車は、一刻ほどの時間をかけてすすみ、御所郁芳門から新造された女御御殿には未の刻(午後1時~3時)に到着しました。そこで休むこと数刻(数時間)。亥刻(午後9時~11時)清涼殿に赴き、後水尾天皇と初めて対面し、そのまま常御殿に渡り、三献の儀式が行われています。
昔の結婚式が時間を考えて行われたのは、陰陽の考え方から来ています。「陰の女性」が「陽の男性」により良い形で嫁ぐことができるように、陰の時間である夜にいく。
その古来のよく考えられた方法で、ひな壇の結婚式も執り行われているのです。そこには「良い人と結婚ができますように」という願いが込められています。