今回は羽子板、左義長のお話です。
昔中国で宗教家同士の争い事があり、王の前で裁判となった左には仏教、右には道教の経典が積み上げられていたが、右の道教の本から炎が上がり燃えてしまった。
これを見た王は、左の教義の方が勝って(長)いると言ったというお話があります。
お話から長い年月を経て、日本に伝わった左義長の儀式は、どん度焼きというお札やしめ縄を焚き上げる儀式になりました。
経典から上がった炎の形(三角形)の板が、の胡鬼板(式板)となりました。
江戸 時代になると、胡鬼板に末広がりの形を強め羽子板としてに金箔を施したものの上に、左義長の儀式の風景を描いた「左義長羽子板」というものが、厄除け・邪気除けとして、貴族への 贈り物や婚礼・出産の祝いとして用いられました。
やがて、その左義長羽子板に歌舞伎役者、美人画が描かれるようになり、押絵の技法を取り入れて現代の形になりました。
もともとそういっ儀式で病魔退散を願う式板の形なので、女児の鬼除け(邪気払い)の飾り物とするようになりました。
江戸時代、胡鬼祓いの意味と、その形に末広がりの縁起を取り入れ 現在の末広形の中に歌舞伎の華やかさを形象化して納める美術要素が取り入れられた羽子板は、伝統工芸品として活躍してきております。
昔、旦那衆が連れの女性に、来年もよい歳であるようにとプレゼントした正月飾りの羽子板が 現在も羽子板市などで、風物詩となっています。
それとは違い、節句品業界で使われる羽子板は、一年の大きな変わり目とされる年の暮れから正月に、鬼除けとして準備し、子供が無事に歳を重ねることを願って飾る風習となっています。