羽子板を飾る意味の由来ははるか昔にさかのぼります。
「羽子板」と聞いてまず頭に浮かぶのは「羽根つき」だと思います。
室町時代にはこの羽根つきを「胡鬼の子勝 負」といい、正月にその年の年占いということで、
末広がりの形をした胡鬼板(羽子板)で胡鬼の子(羽根)をつき、厄除けを祈願したといわれています。
胡鬼板、胡鬼の子について、お話ししてみます。
日本に左義長が伝わる前、中国の明帝の時代、仏教と道教の宗教争いがあり、王の前で、裁判となった
そうです。そこで王は、それぞれの経典に右に道教の経典、左仏教の経典を積み上げさせそれぞれに火
をつけさせたところ、道教の経典は、燃え上がり、仏教の経典は、光り輝きもr無かったという逸話があ
ります。この事が時代を経て伝わり、良くないものを聖なる炎で、燃やすことで、邪気を払おうという
風習ができたのだという説です。
このことから後、江戸 時代になると、胡鬼板(羽子板)に金箔を施したものの上に、左義長の儀式の風景
を描いた「左義長羽子板」というものが、厄除け・邪気除けとして、貴族への 贈り物や婚礼・出産の祝
いとして用いられるようになったようです。
左義長」とは、正月の十五日に宮中で行われた魔除け(鬼除け)の儀式で、今日では「どんど焼き」などと
いわれ、注連縄(しめなわ)や門松などをお焚き上げし、その炎で焼いた餅を食べて邪気を払う儀式として
各地で行われています。
この炎を逆さにしたのが羽子板の代わりとして、邪気意を払うのにふさわしいと考えたのでしょう。
やがて、その左義長羽子板のいた面には、左義長の絵ではなく、歌舞伎の人気役者や美人画が描かれる
ようになり、押絵の技法を取り入れて現代の形になりました。
羽根つきについても考えてみたいと思います。
五行説の中に相克という考え方があります。
お行説とは、森羅万象の元となるものは、5種の元素からできているという考え方で、火、水、木、金、
土となります。
五行(ごぎょう)説で、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木にそれぞれ剋(か)つとされるこ
と。
五行相克。→相生(そうせい)よいかんけいと、相手をしてしまう関係とがあります。
この相克関係を利用し五穀豊穣を願った習慣が羽根つきではと考えます。
炎の火の形で、鳥羽(酉)の金を突くことは、火剋金になります。
この事によって、実りの秋に鳥の襲来を受けず、収穫ができるように考えたのだと思います。
そうでなければ、全国的に子供たちに、羽根つきなど広まらなかったと思います。