生旺墓の理によってみる と、誕生から成人までの期間は、生まれる、つまり”生”の部分に当たる。肉体の成長と共に生霊の増殖する養育期であり、受胎あってから帯祝・産褥見舞・命 名式・宮参り・食初めなど、誕生にまつわる儀礼があり、初節供が終わると現在の七五三に相当する髪置(かみおき)、つまり髪の伸ばしはじめを祝う儀礼が行 われた。男女とも、三歳の陰暦十一月十五日に菅糸でつくった白髪をかぶらせるというものだ。
また、三歳から五歳の間に髪の先を肩までの長さで切りそろえる儀礼があり、陰暦十一月十五日碁盤の上に子供を吉方に向けて立たせ、仮親(その子にとって信頼できる他人になって貰う)が盆の上に切り落とされた子供の毛に少し鋏を入れ、川へ流す深枇ふかそぎの儀礼がなされる。
男子は五歳から九歳までの間に、女子は七歳の十一月の吉日に帯直おびなおし(帯解き)の礼をする。小袖の付紐を取り除き、紐のない小袖に帯を結ぶ儀式をする。男子の元服は幼名をやめ、烏帽子をつけ成人の服を着、髪を結い冠をかぶる儀式で十二歳から十六歳位までの間に行われたが、江戸時代の武家は男子十七歳霜月十五日に初冠(成人式)を行って男髷に改め、幼名を成人としての実名(烏帽子名)に改めて元服がなされた。
女子の成女式は鬢枇びんそぎといい、十四歳から十六歳までの間の六月十六日に鬢の先を切る。鬢先を切る役を鬢親といい、碁盤の上に吉方に向かって立たせて鬢を切り、生年月日と名前を書いた紙を川に流す。式が終わると鉄漿おはぐろをつけ、眉作りをして大人の姿になり、式三献を行った後、祝宴が催された。
男女とも成人の式が済むと、肉体も生霊も完成され、活動期”旺”に入り、旺んに活躍することになる。そして男女の霊魂が結ばれる。因みに、大宝令制では男十五歳女十三歳で結婚が認められている。
このように衣裳と共に髪形かたちは社会秩序の上で重きがおかれた。成人後の髪型,髪結の形にはいろいろな約束が込められ、身分・年齢・職業など男女ともその分類は多岐にわたった。そんな中で幼児は埒らちの外におかれ、幼児期の髪形には自由さがあったといえる。
五人囃子の童児の髪形は、その自由さを象徴したものといえる。江戸期以前の文化の移入は中国からの影響がほとんどといえる中で、唐児からこの髪形には雛ひいな本来の可愛さ、あいくるしさを認め、幼児の髪形へのあそび心や楽しさを求めたといえる。それは往時のハイカラ指向のあらわれかも知れぬ。唐児からくり人形に伝わるようにその姿には軽業を彷彿させる身軽さを認め、無事成長のための子供らしさ、活発さを五人囃子の生やす意味に込めたものといえようか。
「にんぎょう日本」1992年12月号掲載
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