幼い子のあどけない、時間も忘れて遊ぶしぐさ。声をかけても振り向かない、汚れても気にしない無心さ。
そんな三昧の境地とも呼ぶべき童心の純粋さは、誰も憎めず、むしろ尊いものだと思います。
雛人形の五人囃子は、こういった無垢な子どもの顔で作られることになっています。
昔から中国では、十才を幼、二十才を弱、三十才を壮、四十才を強、五十才を艾(がい)、それ以上は十才ごとに耆(き)、耄(もう)、たい背(たいはい:「たい」の字は魚へんに台と書く)というふうに呼んでいます。
また七才は悼(とう)、五才は童(どう)、三才は孩(がい)ということで、各年代に呼称をつけることで、その歳の人のあってほしい姿を表現しました。
悼と耄、つまり幼児と老人は罪があっても刑を科されず、社会のきまりの外において見守ったといいます。
五人囃子の子どもの姿には、そんな自由さも込められているのでしょう。