対雛と五人囃子

対雛と五人囃子

江戸時代の半ばを過ぎると、 雛飾りに対雛と五人囃子、そして雛道具は飾り方の組み合わせとして絶対的という観念が強く流れるようになった。時を経て昨今、雛段飾りの簡略化された形 は、対雛に三人官女を加えて五人飾り、さらに随身を飾って七人飾りといった風だが、明らかに女児の無事成長を祝う呪術としての意味合いは薄れてしまってい るといえる。
宝暦九年に江戸では京雛の移入が禁止されるが、幕府の為政の故もあって宝暦以降は江戸文化の権立期とされる。その頃が現今の座雛の完成期ということができる。古今雛(こきんびな)雛づくりの仕事上では特に 五人囃子に想いをひかれる。そこには座雛の雛飾りの構成の本来があるからだ。宇宙を構成する五大五行(五気)のもとで五季の気候は春、夏、秋、冬、土用で あり、目で見る五色は青、赤、白、黒、黄であり、天地間の生類は霊長たる人間、獣、禽、虫、魚を指す。人間には五体(頭、両手、両足)、五臓(漢方でいう 肝、心、脾、肺、腎)、五指、五感(視、聴、味、嗅、触覚)、五欲(財、色、食、名誉、睡眠)があり、口で知る五味(甘、酸、辛、苦、塩辛い)、耳で聞く 五音(あいうえお)もまた″五″に関わる。人間の踏む道にも仁、義、礼、智、信の五常の道があるといった往時の観念が込められて、五人囃子は必ず対雛と共 に飾られた。
五という極致は天地が創造 し自然のものすべて五つで大極そのものの現れだと考えられた。関東風の雛で五人囃子の立袴(小鼓、羯鼓(かっこ))には踏み出し、踏み込みの伝統がある。 十五人揃の中では歌舞伎の様式である六方を踏む態(さま)を入れて、唯一カの入った動態で運気の消長を示したといえるだろう。
文化十年、江戸・中村座で の上演に古今雛が取材されている芝居絵には、当時の歌舞伎の影響がしのばれる。古いところでは、鶏の故事がある。古事記に天照大神が天の岩屋戸に隠れた 時、常世(とこよ)の長鳴き鳥として鶏が記されている。天宇受女命(あめのうずめのみこと)が空桶を踏みならし、鶏を集めて鳴かす。日本では鶏は夜明けを 告げるために飼われ、最も親しみが深い一番(丑の刻二時)二番(寅の刻四時)三番鶏(卯の刻)の鳴き声で時を知る風習があった。皇祖天照大神を主祭神とす る伊勢神宮の神使は、天の岩屋戸の故事により、鶏になっている。鶏には五つの徳があり、五羽を画いて吉祥とされる。夫婦と子供三人の組み合わせは家族の理 想とされ、古来わが国では早朝の清浄を尊び、鶏の鳴き声は「東天紅」とされ、太陽を迎えるところから一日の家内安全も含めてその吉祥が表現される。天宇受 女命は里神楽ではおかめであり、 火男(ひょっとこ、猿田毘古神)と向かい合って踊る。天宇受女命は大嘗祭や鎮魂祭に仕えて舞の始祖とされ、芸能、神楽の祖神とされている。五人囃子には五 つの数に連ることどもを踏まえて、誕生したわが子のつつがない成長、幸せな結婚をという、対雛へ託された親の希いを対雛に促す力が与えられ、可愛いわが子 の人生の幕開きの役も務める。対雛と五人囃子は誕生した女児の未来の幸せな家庭への予祝の形であり文字通りお囃しといえ生命の躍動、歓喜、奉納舞楽のすが たが見えかくれする。
「にんぎょう日本」1992年6月号掲載